玉を使った摎Rは、さも幽霊のしわざででもあるかのように見せかけて、少しでもその犯行への見込みを誤らしめようという計画からでした。三百両紛失事件は、これももちろん軍資金調達の一方法で、一味があげられたと同時に例の駒《こま》の持ち主はまもなく判明いたしましたが、右門のにらんだごとく三段の免許持ちで、天草から江戸へ潜入以来、賭《か》け将棋専門で五十両百両といったような大金を軍資金としてかせぎためていた伴天連の催眠術者でした。それが、あの日たまたま湯島の富くじ開帳へ行き合わせて、金星を打ち当てた町人をちょっと眠らしたというようなわけでしたが、とにかく右門のすばらしい功名に、同僚たちはすっかり鼻毛を抜かれた形でした。けれども、おなじみのおしゃべり伝六だけには、一つふにおちない点がありました。ほかでもなく、それは柳原からの報告をもたらしたとき、すぐに右門が玉乗りへやって行ったあの事実です。
で、伝六は口をとんがらかしながらききました。
「それにしても、いきなり玉乗りへ行ったのは、まさかだんなも伴天連の魔法を知ってるわけじゃありますまいね」
すると右門は即座に自分の耳を指さしたものでしたから、伝六が目をぱちくりしたのは当然。
「見たところへしゃげた耳で、べつに他人のと変わっているようには思えませんが、なにか仕掛けでもありますかい」
「うといやつだな。あのとき小屋の中でもそういったはずだが、お花見のときにきいた妓生《キーサン》の南蛮語だよ。はじめはむろんでたらめなべらべらだなと思っていたが、きさまがおでん屋で芋焼酎を売り物にしているといったあの話から、てっきり南蛮酒だなとにらんだので、南蛮酒から南蛮渡来の玉乗りのことを思いついて、妓生のべらべらをもう一度聞きためしにいったまでのことさ。あの玉乗りの太夫たちが唐人ことばで踊りを踊るということは、まえから聞いていたのでな。ねた[#「ねた」に傍点]を割りゃ、それだけの手がかりさ」
いうと、右門はおれの耳はおまえたちのきくらげ耳とは種が違うぞ、というように、唖然《あぜん》と目をみはっている同僚たちの面前で、ぴんぴんと両耳をひっぱりました。
底本:「右門捕物帖(一)」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
1996(平成8)年12月20日新装第7刷発行
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:大野晋
校正:菅野朋子
1999年5月1日公開
2001年10月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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