をくぐりました。しかし、右門はまさかにこの仲間ではあるまいと思っていたのに、これは意外、つかつかと二文払って同じく中へはいりましたので、伝六はいよいよ鼻をつままれてしまいました。
けれども、右門は伝六のおどろいていることなぞにはいっこうむとんちゃくで、ちょうど幕が上がっていたものでしたから、引き入れられるように舞台へ目をすえだしました。見ると、まことや口上言いの能書きどおりなのです。黒い玉に乗って柳の影から、まるで足のない幽霊のごとく、ふうわり舞台へ現われると、太夫はいかにも怪しい唐人語を使って、不思議な踊りを玉の上で巧みに踊りました。と、同時でした。右門は突然しかるように、伝六へいいました。
「きさま、今の唐人語に聞き覚えないか」
「え? なんです。なんです。唐人語たあなんですか?」
「どこかであれに似た節のことばを聞いたことはねえかといってるんだよ」
伝六が懸命に考えていましたが、はたとひざを打つようにいいました。
「あっ! そういえば、こないだお花見の無礼講に、清正と妓生《キーサン》が、たしかにあんなふうな節を出しましたね」
「それがわかりゃ、きさまもおおできだ。このうえは、土手のおでん屋を詮議《せんぎ》すりゃ、もうしめたものだぞ。来い!」
恐ろしいすばしっこさで、そのまま右門が表へ駆けだしたものでしたから、まだはっきりとわからないがだいたいめぼしのついた伝六も、しりをからげてあとを追いました。まことにもうひとっ飛びで、評判のおでん屋を土手先で見つけたのはそれからまもなくでした。
のれんをくぐってはいってみると、なるほど、評判どおりの美人です。年のころはまず二九あたり、まゆのにおやかえくぼのあいきょう、見ただけでぞくぞくと寒けだつほどの美人でした。しかし、ちらりと目を胸もとへさげたとき――あっ! おもわず右門は声をたてんばかりでした。乳が、その割合にしてはいかにも乳のふくらみが小さいではありませんか! はてなと思って、さらに目を付き添いのおやじに移していくと、もう一つ不審があった。その指先にはりっぱな竹刀《しない》だこが、少なくも剣道の一手二手は使いうることを物語る証左の竹刀だこが、歴然としてあったのです。右門はおどりたつ心を押えながら、そしらぬ顔で命じました。
「琉球の芋焼酎とかをもらうかな」
と――偶然がそこにもう一つの幸運を右門にもたらしました。娘がびんを取り上げてみると、あいにくそれがからだったので、なにげなく屋台車のけこみを押しひらいて、中からたくわえの別なびんを取り出そうとしたそのとたん、ちらりと鋭く右門の目を射たものは、たしかにいま浅草の小屋で見て帰ったと同じ南蛮玉乗りの大きな黒い玉でした。
「さては、ほしが当たったらしいな」
いよいよ見込みどおりな結果に近づいてまいりましたものでしたから、もう長居は無用、伝六におでん屋親子の張り番を命じておいて、ただちに四谷大番町《よつやおおばんちょう》へ向かいました。なにゆえ四谷くんだりまでも出向いていったかというに、そこには当時南蛮研究の第一人者たる鮫島《さめじま》老雲斎先生がかくれ住んでいたからでした。かれこれもう夜は二更をすぎていましたので、起きていられるかどうかそれが心配でしたが、さいわいに、先生はまだお目ざめでした。もとより一面識もない間ではありましたが、そこへいくと職名はちょうほうなものです。右門が八丁堀の同心であることを告げると、老雲斎は気軽に書物のうず高く積みあげられたその居間へ通しましたので、だしぬけに尋ねました。
「はなはだ卒爾《そつじ》なお尋ねにござりまするが、切支丹伴天連《きりしたんばてれん》の魔法を防ぐには、どうしたらよろしいのでござりましょうか」
「ほほう、えらいことをまた尋ねに参ったものじゃな。伴天連の魔法にもいろいろあるが、どんな魔法じゃ」
「眠りの術にござります」
「ははあ、あれか。あれは催眠の術と申してな、伊賀甲賀の忍びの術にもある、ごく初歩のわざじゃ。知ってのとおり、なにごとによらず、人に術を施すということは、術者自身が心気を一つにしなけんきゃならぬのでな。それを破る手段も、けっきょくはその術者自身の心気統一をじゃますればいいんじゃ。昼間ならば突然大きな音をたてるとかな、ないしはまた夜の場合ならば急にちかりと明るい光を見せるとかすれば、たいてい破れるものじゃ」
立て板に水を流すごとく、すらすらと催眠破りの秘術を伝授してくれましたので、もはや右門は千人力でした。もよりの自身番へ立ち寄って、特別あかりの強い龕燈《がんどう》を一つ借りうけると、ただちに駕籠を飛ばして、ふたたび柳原の土手わきまで引き返していきました。日にしたらちょうど十三日、普通ならば十三夜の月が、今ごろはまぶしいほどに中天高く上っているべきはずですが、おりか
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