だ。だから、悲壮感は決して恥《はじ》ではない。むしろ悲壮感のない生活が恥なんだ。」
「すると、平常心というのは、どういうことになるんです。」
 次郎がなじるようにたずねた。
「悲壮感をのりこえた心の状態だろう。」
「のりこえたら、悲壮感はなくなるんじゃないですか。」
「そうかね。」
 と、先生は微笑《びしょう》して、
「金持ちが金をのりこえる。必ずしも貧乏《びんぼう》になることではないだろう。」
「ほんとうにのりこえたら、貧乏になるのがあたりまえじゃないですか。」
「じゃあ、知識の場合はどうだ。学者が知識をのりこえる。それは無知になることかね。」
 次郎は小首をかしげた。朝倉先生は、箸をやすめ、夫人に注《つ》いでもらった茶を一口のんでから、
「水泳の達人《たつじん》は、自由に水の中を泳ぎまわる。水はその人にとって決して邪魔《じゃま》ではない。それどころか……」
「わかりました。」
 次郎はきっぱり答えた。しかし、それがいつもそうした場合に二人に見せる晴れやかな表情はどこにも見られなかった。かれはむしろ苦しそうだった。おこっているのではないかとさえ思われた。
「今日は、次郎さんはどうかなすっているんじゃない?」
 朝倉夫人が、不安な気持ちを笑顔《えがお》につつんでたずねた。次郎がむっつりしていると、今度は朝倉先生が、
「やはり悲壮感かな。それにしても、いつもとはちがいすぎるようだね。そろそろ塾生も集まるころだが、何か気になることがあるんだったら、その前にきいておこうじゃないか。」
 次郎はちょっと眼をふせた。が、すぐ思いきったように、
「荒田さんは、このごろどうしていられるんですか。」
 かれの心には、むろんこの場合にも道江《みちえ》のことがひっかかっていた。むしろそのほうが荒田老以上に彼《かれ》をなやましていたともいえるのだった。しかしそれは口に出していえることではなかったのである。
 朝倉先生は、ちょっと眼を光らせて次郎の顔を見つめたが、すぐ笑顔になり、
「なあんだ。荒田さんのことがそんなに気になっていたのか。なるほど、あれっきり、こちらには見えないようだね。しかし、大したこともないだろう。何かあったところで、うなどん[#「うなどん」に傍点]で壮行会《そうこうかい》をしてもらったんだから、だいじょうぶだよ。はっはっはっ。」
 朝倉先生は、いつになくわざとらしい高笑いをして箸をおいた。そして、茶をのみおわると、ふいと立ちあがり、そのまま空林庵のほうに行ってしまった。
 次郎は、むろん、にこりともしなかったし、朝倉夫人も今度は笑わなかった。二人はかなりながいこと眼を見あったあと、やっと食卓のあと始末にかかったが、どちらからも、ほとんど口をきかなかった。
 食卓がかたづくと、次郎はすぐ玄関《げんかん》に行って、受付の用意をはじめた。用意といっても、小卓を二つほどならべ、その一つに、塾生に渡《わた》す印刷物を整理しておくだけであった。
 朝倉夫人も、間もなく和服を洋服に着かえて玄関にやって来た。洋服は黒のワン・ピースだったが、それを着た夫人のすがたはすらりとして気品があり、年も四つ五つ若く見えた。夫人は、受付をする次郎のそばに立って、塾生に印刷物を渡す役割を引きうけることになっていたのである。
 二時近くになると、ぼつぼつ、塾生が集まり出した。リュック・サックを負うたものもあり、入塾のためにわざわざ買い求めたとしか思えないような真新《まあたら》しい革《かわ》のトランクをぶらさげているものもあった。たいていは、カーキ色の青年団服だったが、中に四五名背広姿がまじっており、それらは比較的年かさの青年たちだった。
 どの顔もひどくつかれて、不安そうに見えた。これは、毎回のことで、決してめずらしいことではなかった。入塾生の大部分は、東京の土をふむのがはじめてであり、それに一人旅が多い。募集要項《ぼしゅうようこう》の末尾《まつび》に印刷されている道順だけをたよりに、東京駅や、上野駅や、新宿駅の雑踏《ざっとう》をぬけ、池袋《いけぶくろ》から私鉄にのりかえて、ここまでたどりつくのは、かれらにとって、なみたいていの気苦労ではなかったのである。
 次郎は、青年たちのそうした顔が見えだすと、もう荒田老や道江の顔など思い出しているひまがなかった。かれは、かれらがまだ玄関に足をふみ入れないうちに、何かと歓迎《かんげい》の気持ちをあらわすような言葉をかけた。そして、かれらの名前をきき、それを名簿とてらしあわせて、到着《とうちゃく》のしるしをつけおわると、すぐかれらに朝倉夫人を紹介《しょうかい》した。
「この方は、塾長《じゅくちょう》先生の奥さんです。期間中は、あなた方のお母さん代わりをしていただく方なんです。」
 それをいう時のかれの顔はいかにも晴れやかで、得意そうだった。朝倉夫人は、
「よくいらっしゃいました。おつかれでしょう。」
 と印刷物を渡しながら、ひとりひとりに笑顔を見せるのだったが、青年たちのつかれた顔は、夫人の聡明《そうめい》で愛情にみちた眼に出っくわすと、おどろきとも喜びともつかぬ表情で急に生き生きとなるのだった。次郎にとっては、青年たちのそうした表情の変化を見るのが、受付をする時の一つの大きな楽しみになっていたのである。
 到着は午後四時までとなっていたが、その時刻までに、予定されていただけの顔が、全部異状なくそろった。みんなは、ひとまず広間に待たされ、受付が全部おわったところで各室に割りあてられた。総員四十八名、一室六名ずつの八室でちょうどであった。
 朝倉夫人と次郎とは、みんなを各室におちつけてしまうと、事務室のストーヴにあたりながら、あらためて塾生名簿に眼をとおした。これは二人のいつもの習慣で、めいめいに、受付の際に自分の印象に残った青年たちの顔を、その中からさがすためであった。
「次郎さんは、もう幾人《いくにん》ぐらいお覚えになって?」
「さあ、十四五人ぐらいでしょうか。」
「もうそんなに? あたし、まだやっと五六名。」
「今度は、特徴《とくちょう》のある顔が割合多いようですね。」
「そうかしら。あたし、そんなにも思いませんけれど。」
「こうして名簿を見ていますと、覚えやすいのは、比較的年上の人のようですね。やはり、年を食っただけ特徴がはっきりして来るんでしょうか。」
「それだけ垢《あか》がたまっているのかも知れませんわ。ほほほ。……だけど、ほんとうね。あたしが覚えているのも、たいていは年上の人だわ。大河さんっていう方もそうだし……」
 すると、次郎は、急に名簿から眼をはなして、夫人の顔を見つめながら、
「その人、すぐ目につきましたか。」
「ええ、ええ、一目で覚えてしまいましたわ。名前からして、禅《ぜん》の坊《ぼう》さんみたいで、変わっていたからでもありましょうけれど。」
「その人ですよ。ほら、こないだ先生からお話があったのは。」
「はああ、あの、京都大学で哲学《てつがく》をおやりになって、今、中学校の先生をしていらっしゃるって方?」
「ええ、そうです。」
 二人はあらためて名簿を見た。名簿には、それぞれの欄《らん》に、「大河無門、二十七|歳《さい》、千葉県、小学校代用教員、中学卒」と記入してあり、備考欄には、「青年団生活には直接の経験なきも興味を有す」と何だかあいまいなことが書いてあった。
「これは本人から書いて来たとおりなんです。先生もそれでいいだろうとおっしゃったものですから。」
 次郎はそう言って笑った。むろんこれには事情があったのである。
 実は、大河無門は、一昨年の春京都大学の哲学科を出ると、すぐ母校である千葉県の中学校に奉職《ほうしょく》したが、もともと、いわゆる教壇的《きょうだんてき》教育には大した興味も覚えず、もっと実生活にまみれた教育をやって見たいという希望を、たえず持ちつづけていた。そのうちに、たまたま友愛塾のことをききこみ、幸い任地から一日で往復できる距離《きょり》でもあったので、ある日曜――それは一か月ばかりまえのことだったが――わざわざ朝倉先生をたずねて来て、塾長室で二人っきりで一時間あまりも話しこんだあと、すぐその場で入塾を決意し、その希望を申し出たのであった。
 もし現職のままでは入塾ができないとすれば、すぐ辞表を出してもいいとさえかれは言ったのである。
 朝倉先生は、話しているうちに、かれの決意がなみなみならぬものであるのを見てとった。同時にかれの人物に一種の重量感を覚えた。その重量感は、決してかれの言葉つきや態度から来るものではなかった。そうした表面にあらわれる言動の点では、かれはむしろ率直《そっちょく》にすぎ、どこやらにおかしみさえ感じられるほどであった。しかし、それにもかかわらず、かれの人がら全体には、何とはなしに、どっしりしたものが感じられたのである。朝倉先生は、それを大河の人間愛の深さや思索《しさく》の深さがそのまま実践力の強さになっているからであろう、というふうに判断したのだった。
 しかし、先生は大河の人物に重量感を覚えれば覚えるほど、かれの入塾について、答えをしぶった。それは、自分の過去の経験から、かれのような人物をながく中等教育にとどめておきたいという気持ちからでもあったが、それよりも当面の問題として、かれを友愛塾の塾生としてむかえることに、ある不安が感じられたからであった。すべての点で一般《いっぱん》の青年とはあまりにもへだたりのある人物が、指導者としてならとにかく、一塾生としてはいって来るということが、塾の性質上、はたしていいことかどうか。みんなが、貧しいながらも、それぞれの創意と工夫とをささげあって、集団の意志をねりあげ、共同の生活をもりあげていこうという、この塾の第一の眼目《がんもく》が、光りすぎた一人物の圧倒的《あっとうてき》な影響力《えいきょうりょく》によって、自然にくずれてしまうのではあるまいか。そうしたことが気づかわれたのである、
 で、先生は最初、大河につぎのような意味のことを答えた。
「君のような人に、この塾の生活を十分理解してもらうということは、学校教育にも何かきっとプラスになることだと信ずるし、その意味で、むろん私としては、大いに歓迎《かんげい》したい。しかし普通《ふつう》の塾生として来てもらうには、君はもうあまりにレベルが高すぎる。こちらとしては取り扱《あつか》いにも困るし、君としても物足りない気持ちがするだろう。で、学校の手すきの時に、おりおり見学といったようなことでやって来てはどうか。ここには君よりも三つ四つ年の若い助手が一名いるが、その助手に協力するといった立場で、見学してもらえば好都合だと思うのだが。」
 大河は、しかし、そのすすめには全然応ずる気がなかった。かれは言った。
「僕《ぼく》はこれからの僕の教育生活の方向|転換《てんかん》をする決心でお願いしているんです。そのためには、見学というような、なまぬるい立場では、どうしても満足できません。青年たちが共同生活をやって行く時の心の動きを、よかれあしかれ、その生活の内部からつかんでみたいんです。また、僕自身でも、青年たちと同じ条件で、その体験をみっちりなめてみたいんです。塾の根本方針は、お話で十分わかりましたし、むろん、出しゃばってリーダーシップをとったりするようなことは、絶対にいたしません。僕の学歴や職業が、ほかの塾生たちに何かの先入観を与《あた》えるというご心配がありましたら、ごまかしては悪いかもしれませんが、履歴書《りれきしょ》には何とか適当に書いておくつもりです。青年団生活にはまるで無経験ですし、ついでにそういうことも書きこんでおけば、青年たちに買いかぶられる心配もないだろうと思います。」
 朝倉先生も、そうまで言われると、むげに拒《こば》むわけにはいかなかった。現職をなげうっても、というかれの決意には、冒険《ぼうけん》だという気がしないでもなかったが、一方では、かれほどの人物であれば、将来はまた何とでもなるだろう、という気もして、ついにその希望をいれてやることにしたのであっ
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