体として総合し、統一して行く、そういう過程が何よりもたいせつなのである。過程をいいかげんにして、結果だけをととのえてみたところで、諸君は人間として少しも伸びたとはいえない。たとえ結果はどうであれ、その過程さえまじめにふんで行くならば、それで諸君はたしかに伸びたといえるし、ここの生活は、諸君の将来の生活に対して一つの大きな役割を果たすことになるだろう。とかく世間は、形にあらわれた結果だけを見て、いろいろと批評したがるものだが、諸君は世間のそんな批評などに頓着《とんちゃく》する必要はない。諸君はあくまでも純真に、諸君自身の良心の声にきいて、おたがいを伸ばしあうためにはどうすればいいか、それだけに専念すればいいのだ。――」
 朝倉先生の言葉の調子《ちょうし》には、これまでになく力がこもっていた。次郎は、思わずまた荒田老の顔をのぞいた。荒田老は、しかし、その時には、もういつもの動かない木像の姿にかえっていた。その代わりに、鈴田がいかにも自分の気持ちをおさえかねたかのように、唇《くちびる》をかみ、眼をいからしていた。
「そこで――」
 と、朝倉先生は、調子をやわらげて、
「これからおたがいの生活設計について具体的に話しあいたいと思うが、それには、まず第一におたがいに漂流して来たこの島がどういうところであるか、つまり、おたがいは今どういう環境《かんきょう》におかれているのか、それをみんながはっきり知っておく必要がある。客観的な現実、それを知らないでは、理想も信念もどうにもなるものではないのだから。……で、私は懇談に先だって、まず諸君にこの建物の内外をくまなく探検しておいてもらいたいと思っている。あらましのことはもうわかっているかもしれない。しかし、これからの生活にどこをどう利用し、何をどう使ったらいいか、そういう点まで注意してこまかに見てまわった人は、おそらくまだないだろうと思う。遠慮《えんりょ》はいらない。森や畑はむろんのこと、物置でも、戸棚《とだな》でも、押し入れでも、本箱《ほんばこ》でも、どしどし探検してもらいたい。もっとも、本館の一部に炊事夫《すいじふ》の家族と給仕の私室があり、なお向こうに空林庵《くうりんあん》という別棟《べつむね》の小さな建物があって、そこはここにいる三人の私室になっているので、それだけは除外してもらうことにする。こんな除外例を設けると、絶海の孤島という感じがうすらぐかもしれないが、どうもいたし方がない。」
 朝倉先生は、そう言って笑った。みんなも笑った。笑わなかったのは、荒田老と鈴田の二人だけだった。
 次郎が勢いよく立ちあがっていった。
「では、約一時間たったら、また板木《ばんぎ》を鳴らしますから、ここに集まって下さい。それまでは自由に探検を願います。」
 塾生たちは、面くらったような、しかしいかにも愉快そうな顔をして、いくぶんはしゃぎながら、どやどやと室を出て行った。
 塾生たちがまだ出おわらないうちに、朝倉先生が荒田老に近づいて行って、言った。
「長い時間おききいただいて、あうがとうごさいました。しばらくあちらでお休みくださいませんか。」
「いや、もうたくさん。」
 荒市老はぶっきらぼうに答えた。そして、
「鈴田、もう用はすんだ。帰ろう。」
 と腕組みをしたまま、すっくと立ちあがった。黒眼鏡は真正面を向いたままである。
 鈴田はすぐ荒田老の手をひいて歩き出したが、その眼は軽蔑《けいべつ》するように朝倉先生の顔を見ていた。
「もうお帰りですか。どうも失礼いたしました。」
 と、朝倉先生は、べつに引きとめもせす、二人を見おくって出た。朝倉夫人と次郎とは、眼を見あいながら、そのあとにつづいた。
 荒田老は、それから、玄関口まで一言も口をきかなかったが、自動車に乗るまえに、だしぬけにうしろをふりかえって言った。
「塾長さん、あんたは毎日、新聞は見ておられるかな。」
「はあ、見ております。」
「時勢はどんどん変わっておりますぞ。」
「はあ。」
「自由主義では、日本はどうにもなりませんな。」
「はあ。」
「どうか、命令|一下《いっか》、いつでも死ねるような青年を育ててもらいたいものですな。」
「はあ。」
 自動車が出ると、朝倉先生は夫人と次郎とをかえりみ、黙《だま》って微笑した。
 次郎は、それ以来、荒田老の顔を見ていない。このまえの閉塾式には、案内を出したにもかかわらず、顔を見せなかったのである。田沼理事長に対して、老がその後どんなことをいい、どんな態度に出ているか、それは朝倉先生にはきっとわかっているはずだが、先生は、次郎にはもとより、夫人に対しても、そのことについて何も語ろうとはしない。ただときどき、何かにつけて、
「われわれの仕事も、これからがいよいよむずかしくなって来る。しかし、そうだからこそ、こうした性質の塾が、いよいよたいせつになるわけだ。」
 といった意味のことを言うだけである。次郎にしてみると、発生が荒田老のことにふれまいとすればするほど、かえって大きな不安を感じ、第十回の開塾式が近づくにつれ、その顔を思い出すことが多くなって来たわけなのである。

 かれの眼の底から荒田老の顔が消えると、それに代わって浮《う》かんで来るもう一つの顔があった。それは道江《みちえ》の顔であった。
 兄の恭一《きょういち》は、現在東大文学部の三年に籍《せき》をおいている。道江は、女学校卒業後、しきりに女子大入学を希望していたが、何かの都合でそれが実現できなかったらしい。次郎にとっては、むろんそれは不幸なことではなかった。かれは、上京後、日がたつにつれ、いくらかずつ過去の記憶《きおく》からのがれることができ、三年以上もたったこのごろでは、恭一にあっても、はじめのころほどかれと道江とを結びつけて考えることもなく、時には、まるで道江のことなど忘れてしまって、愉快にかれと語りあうことができるまでになっていたのである。
 ところが、つい二週間ほどまえ、ちょうど第十回の塾生募集をしめ切ったその日に、道江本人から、かれあてに、全く思いがけない手紙が来た。それには、かれが上京以来三年以上もの間、一度も彼女《かのじょ》に手紙を出さなかったことに対して、冗談《じょうだん》まじりに軽い不平がのべてあり、そのあとに、つぎのような文句が書いてあった。
「近いうちに、父が用事で上京することになりましたので、私もその機会に、見物かたがたつれて行ってもらうことにしました。宿や何かのことは、何もかも恭一さんにおねがいしてありますから、ご安心ください。まだ日取りは、はっきりしません。ついたらすぐお知らせします。お迎《むか》えは恭一さんに出ていただきますから、これもご安心ください。いずれお会いした上で、手紙で言い足りない不平を思いきりならべるつもりでいます。」
 次郎は、この文句を通じて、道江のかれに対して抱《いだ》いている感情が普通《ふつう》の友だち以上のものでないことを、はっきり宣告され、同時に彼女と恭一との関係が、過去三年の間にどんな進展を見せているかを暗々裡《あんあんり》に通告されたような気がして、それを読み終わった瞬間《しゅんかん》、頭がかっとなった。しかし、すぐそのあとにかれの心をおそったものは、めいるようなさびしさであり、虚無的《きょむてき》な自嘲《じちょう》であった。そして、それ以来、これまでほとんど忘れていたようになっていた道江の顔が、しばしば彼の眼底に出没《しゅつぼつ》するようになり、時としては、荒田老の怪寄な顔を押しのけることさえあったのである。

 広間の窓わくによりかかって眼をつぶったかれは、しかし、二つの顔が代わる代わるその眼底に出没するのに心をまかせていたわけでは、むろんなかった。開塾式を明日にひかえた今、何といっても、かれにとっての最大の関心事は、塾堂生活のことであり、朝倉先生夫妻の助手としてのかれの任務を手落ちなく遂行《すいこう》することであった。だから、かれは、これまでにもいくたびとなく反省して来た過去の塾堂生活の体験を、あらためて反省しなおして、新しい工夫《くふう》をこらすことに専念したかったのである。だが、そうであればあるほど、荒田老の怪奇な顔がかれの顔にのしかかり、道江のあざ笑うような顔がかれの胸をかきみだすのであった。
「ふうっ。」
 と、かれは大きな息をして眼をひらいた。そして、さっきとじこんだ塾生名簿の一つをとりあげ、無意識にそれをめくっていった。塾生がはいって来るまえに、その名前と経歴とをすっかり覚えこんでおこうとする、いつものかれの習慣が、そうさせたのである。しかし、かれの眼にうつったのは、塾生の名前や経歴ではなくて、やはり荒田老の顔であり、道江の顔であった。
 かれは名簿をなげすて、もう一度ふかい息をして、床の間のほうに眼を転じたが、そこには、「平常心」と大書《たいしょ》した掛軸《かけじく》が、全く別の世界のもののように、しずかに明るくたれていた。

   三 大河無門・平木中佐

 昼近くになっても、次郎は広間を出なかった。陽《ひ》を背にして窓によりかかったままぼんやり塾生名簿《じゅくせいめいぼ》を見たり、眼《め》をつぶったり、床《とこ》の間《ま》の掛軸をながめたりして、落ちつかない気持ちを始末しかねていたのである。
「あら、次郎さん、朝からずっとこちらにいらしたの?」
 和服の上に割烹着《かっぽうぎ》をひっかけた朝倉夫人が廊下の窓から顔をのぞかせ、不審《ふしん》そうにそう言ったが、
「ご飯はこちらでいただきましょうね。そのほうがあたたかくってよさそうだわ。じゃあ、すぐはこびますから、先生をお呼びして来てちょうだい。」
 と、すぐ顔をひっこめた。
 次郎は返事をするひまがなかった。というよりも、変にあわてていた。かれはいきなり立ちあがって、部屋の片隅《かたすみ》につみ重ねてあった細長い食卓《しょくたく》の一つを、陽あたりのいい窓ぎわにおくと、走るようにして空林庵《くうりんあん》に朝倉先生をむかえに行った。
 二人が広間にはいって来た時には、朝倉夫人は、もう食卓のそばにすわっていた。
「今日はどんぶりのご飯でがまんしていただきますわ。でも、中身はいつもよりごちそうのつもりですの。」
「そうか。」
 と、朝倉先生は、どんぶりのふたをとりながら、
「よう、鰻《うなぎ》どんぶりじゃないか。えらく奮発《ふんぱつ》したね。」
「三人だけでご飯をいただくの、当分はこれでおしまいでしょう。ですから――」
「なあんだ、そんな意味か。そうだとすると、せっかくのごちそうだが、少々気がつまるね。」
「どうしてですの。」
「女にとっては、やはり小さな家庭の空気だけが、ほんとうの魅力《みりょく》らしい。そうではないかな。」
「あら、あたし、つい女の地金《じがね》を出してしまいましたかしら。自分では、もうそれほどではないと思っていますけれど。」
「ふ、ふ、ふ。私もそれほど深い意味でいったわけでもないんだ。」
 朝倉先生はそう言って笑ったが、すぐ真顔《まがお》になり、床の間の「平常心」の軸にちょっと眼をやった。そして、箸《はし》を動かしながら、しばらく何か考えるようなふうだったが、
「むずかしいもんだね。今度でもう十回目だが、私自身でも、いざ新しく塾生を迎《むか》えるとなると、やはりちょっと悲壮《ひそう》な気持ちになるよ。」
 次郎は先生の横顔に眼をすえた。すると、先生はまた、じょうだんめかして、
「やはり、うなどん[#「うなどん」に傍点]ぐらいの壮行会には値《あたい》するかね。はっはっはっ。」
 それで夫人も笑いだした。しかし次郎は笑わなかった。先生はちらっと次郎の顔を見たあと、
「しかし、うなどん[#「うなどん」に傍点]ぐらいでごまかせる悲壮感でも、ないよりはまだましかもしれない。元来愛の実践《じっせん》は甘《あま》いものではないんだからね。愛が深ければ深いほど、そして愛の対象が大きければ大きいほど、その実践には、きびしい犠牲《ぎせい》を覚悟《かくご》しなけりゃならん。十字架《じゅうじか》がそれを証明しているん
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