、変に自分の耳に皮肉にきこえ、はっとしたように、朝倉先生と小関氏のほうを見た。朝倉先生は、眼をつぶっていた。小関氏はきらりと眼を光らせたが、すぐ塾生たちを見まわしながら、
「時間はできるだけ有意義につかうがいい。茶話会は三十分もあればたくさんだろう。興国塾の諸君は、こういう時に思いきりふだんの抱負《ほうふ》を述べ、十分批判してもらうんだな。」
しかし、どこからも発言するものがなかった。室内はしんとして、ほうぼうにすえてある火鉢《ひばち》の中で、かすかに、炭火のはねる音がきこえていた。
すると、窓ぎわの卓についた大河無門が、だしぬけに言った。
「興国塾の塾長先生は、ひる間のぼくたちの話をきいていてくだすったようですが、何かそれについてご注意くださることはありませんか。」
小関氏の眼がまたぴかりと光った。氏は、その眼をいりつくように大河のほうに注ぎながら、
「それは大いにある。しかし今日は私の出る幕ではない。私の考えは帰ってから私のほうの塾生だけに話せばいいのだ。」
また沈黙がつづいた。次郎はそっと朝倉先生の顔をのぞいたが、先生はやはり眼をつぶっているきりだった。
「では、問題もなさそうですから、すぐ懇親会にうつります。」
次郎は思いきって言った。そしてさっさと予定の計画を進めていった。次郎たちの計画では、しょっぱなから、固い気分を徹底的《てっていてき》にぶちこわすことであった。
そのためには、まず第一に、朝倉先生夫妻をはじめ、友愛塾がわが総立ちになって、例の友変塾|音頭《おんど》を踊《おど》るのが、もっとも効果的だと思われた。この予想はみごとに的ちゅうした。小関氏ただ一人をのぞいては、満場笑いと拍手の渦《うず》だった。とりわけ朝倉先生と大河無門の拳闘《けんとう》でもやるようなぎこちない手ぶりが爆笑《ばくしょう》の種だった。中には朝倉夫人のしなやかな手振《てぶ》りに最初から最後までうっとりと見ほれているものもあった。
つぎは個人のかくし芸だったが、その皮切りにも、大河無門が立ちあがって例の蝉《せみ》の鳴き声をやり、大|喝采《かっさい》だった。それにこたえて、興国塾がわからも、その代表である黒田勇が出て詩吟《しぎん》をやった。満面|朱《しゅ》を注いでの熱演は大河の蝉の鳴き声とは全く対蹠的《たいしょてき》だったが、節まわしはさすがに堂に入ったもので、これも大喝采だった。
そのあと次郎は、もう進行係としてほとんど世話をやく必要がなかった。すべては笑いと感嘆《かんたん》と拍手の中にすぎた。そして、最後に相互《そうご》の代表からなごやかなあいさつを述べて解散することになったが、もしわかれぎわになって興国塾の塾生たちがきちんと玄関前に整列し、号令のもとに挙手注目の礼をおくらなかったとしたら、双方の塾生たちの間に、しつけ[#「しつけ」に傍点]の大きなひらきがあるのを認めることは、困難だったかもしれなかったのである。もっとも、そうであればあるほど、小関氏にとって、この数時間がにがにがしい時間であったことは言うまでもない。
興国塾の塾生たちの足音が消え、朝倉先生夫妻と次郎とが塾長室にはいると、そのあとを追うようにして五六名の塾生たちがおしかけて来た。その中には大河無門もいた。かれらは口々に言った。
「すいぶん盛《さか》んな連中だったね。何しろぼくたちとは生活がちがいすぎているんだ。こちらの言うことなんか、はじめのうち、てんで聞こうともしないで、自分たちの言いたいことだけをしゃべりまくるんだ。閉口《へいこう》したよ。」
「それでも、食後はいやに愉快《ゆかい》そうだったじゃないか。やはり地区別の話し合いは、それだけ効果的だったと思うね。」
「そういえば、食後には、催促《さいそく》されてもふしぎにだれも理屈を言いだすものがなかったね。ひる間の意気込《いきご》みとはまるでちがっているんで、あの時はぼくも意外だったよ。」
「すると、やはり多少は考えたかな。」
「考えたんじゃないよ。本能だよ。」
と、大河無門が口をはさんだ。
「あの連中だって、つけ焼《や》き刃《ば》の理屈をならべるよりか、りんごを食ったり、歌をうたったりするほうが実はおもしろいんだよ。ふふふ。」
それから朝倉先生のほうを向いて、
「今日、ぼくたちの班で話しあってみたかぎりでは、あの連中の生活には、自然で大っぴらな楽しみというものがまるでないらしいんです。やるべき時に、しっかりやりさえすれば、そのほかの時のずぼらは大目に見てもらえるんだから、それで取りかえしがつく、なんて平気で言う者がありましてね。それをきいていて、ぼくは、気の毒になってしまいました。」
朝倉先生はただうなずいたきりだった。すると塾生同士がまた話し出した。
「最後にどんな気持ちになって帰って行ったかな。」
「大多数はやはり勝ったつもりで得意になっていたんじゃないかな。夜の会で議論が出なかったのも、一つは、そのせいだったかもしれないよ。」
「まあ大多数はそうだろうね。しかし、中にはずいぶん考えこんだものもいるよ。現にぼくの隣村《となりむら》から来ていた青年なんか、帰りがけにいやにさびしそうな顔をして、もっと早く友愛塾のことを知っていればよかった、なんて、こっそりぼくに言っていたんだから。」
「ほんとうにまじめな人は、そうだろうね。しかし、そんな人はめずらしいよ。ぼくたちだってここの生活のいいところがわかるまでには、ずいぶんお手数をかけたからね。」
「まあ、しかし、今日はとにかくよかったよ。興国塾の連中はとにかくとして、ぼくたち自身にぼくたちの生活がこれでいよいよはっきりしたんだから。」
「実際だ。ああいう連中といっしょになってみると、それが実にはっきりわかるね。」
朝倉夫人は涙《なみだ》ぐんでおり、次郎は何かじっと考えこんでいた。すると朝倉先生が言った。
「そんなふうに自己|陶酔《とうすい》に陥《おちい》るようでは、今日は最悪の日だったね。アルコール漬《づけ》になって生きている動物はないよ。はっはっはっはっ。」
それから急に立ちあがって、窓ぎわを行ったり来たりしながら、
「今日の収穫《しゅうかく》は、あるいはアルコール漬の標本を作っただけだったかもしれないね。そのうち、その標本が瓶《びん》ごと捨てられる時が来るだろう。それじゃ、あんまりみじめではないかね。……こういう時こそ、一人一人が、もっと厳粛《げんしゅく》に……もっと謙遜《けんそん》に、自分を反省してみなくちゃあ。……大事なのは、友愛塾が友愛塾という形で勝つか負けるかということじゃない。かりに友愛塾という容器がつぶされても、君らの一人一人が、まる裸《はだか》でぴちぴち生きているような人間になることだよ。とにかく自己陶酔はいけない。勝ったつもりでいい気になってはおしまいだ。人間は、苦しい時よりも、かえって得意な時に堕落《だらく》するものだからね。……平常心……そうだ、平常心のたいせつなのは、苦しい時よりも、むしろこうした場合なんだよ。」
朝倉先生が、こんなに、物につかれたように、きれぎれなものの言い方をするのは、まったくはじめてのことだった。みんなはおびえたように先生を見まもった。朝倉夫人と次郎とは、先生の言葉がおわると、すぐおたがいの顔を見あったが、その眼は友愛塾のさしせまった運命について何かささやきあっているかのような眼だった。
ただ大河無門だけは、その間にも、しずかに眼をとじているきりだったのである。
一三 旅行
それから一週間は、表面何事もなくすぎた。次郎は、一方では、塾《じゅく》の将来についての予感におびえながら、また一方では、道江《みちえ》からも恭一《きょういち》からも、その後何のたよりもないのを気にやみながら、ともかくも予定どおりの行事をすすめていった。季節はもう武蔵野《むさしの》名物の黒つむじが吹《ふ》きあげるころで、朝夕の清掃《せいそう》にはとりわけ骨が折れたが、同時に水がぬるみ、雑巾《ぞうきん》をしぼる手がかじかむようなこともほとんどなくなっていた。
友愛塾では、毎回の講習期間の終わりに近く塾長以下全員そろって三|泊《ぱく》四日の旅行をやることになっていた。それは塾の生活を外に持ち出し、特殊《とくしゅ》な教育|環境《かんきょう》において練りあげたものを、世間という普通《ふつう》の社会環境において試《ため》そうというのが主目的であったが、また近県在住の第一回以来の修了者《しゅうりょうしゃ》たちと親交を結び、そういう人たちの郷土生活の実際に接したいというのも、重要なねらいの一つだったのである。
その旅行に出るのは、すでに三日の後にせまっていた。しかし、計画は早くから研究部でねられ、これまでの次郎の経験などを参考にして何もかも決定されていたので、塾生たちはただその日の来るのを待つばかりであった。
ところで、次郎には、旅行に出る前に果たしておかなけれはならない一つの重要な仕事が残されていた。それは数日前に出願を締め切った次回の入塾希望者の履歴書《りれきしょ》を整備して朝倉先生に提出し、採否の決定を得た上で、それぞれ本人に通知することであった。出願者の数はこれまでの記録をやぶって、ほとんど定員の二倍になっていた。それだけにその銓衡《せんこう》は困難だった。次郎は昨夜までにすっかりその整備をおわり、自分でも採否のあらましの見当をつけておいたが、今朝は、いよいよ朝倉先生にその最後の決定を求めることになっていたのである。
今日もちょうど小川博士の講義の日だったが、次郎はその講義がはじまるのを待ち、一まとめにした履歴書と推薦書《すいせんしょ》とをかかえて塾長室にはいっていった。
「もうちょっとで百名をこえるところでした。それに、志願者の質もたいていはよさそうです。やはり、これまでの修了者の勧誘《かんゆう》がきいたんだと思います。」
次郎は朝倉先生の机の上に書類をおくと、そう言って、いかにも得意そうだった。
「そうか。ふむ。」
と、朝倉先生は、何か考えていたらしい眼でちょっと履歴書のほうを見たが、すぐ机の引き出しをあけて、小さな紙ばさみにはさんだ一|束《たば》の電報をとり出し、それを次郎のまえにつき出しながら、言った。
「しかし、残念ながら、この通りだ。」
次郎はいそいで電報に眼をとおした。おどろいたことには、十五六通の電報が、どれもこれも推薦団体からの志願取り消しの電報だった。志願者の数にして、もうそれだけで五十名近くになっていた。次郎は呆然《ぼうぜん》となって朝倉先生の顔を見つめた。かれは、この五六日、頻々《ひんぴん》と塾長あての電報が来るのを知ってはいた。そしてそれが何か先生の身分にとって重大なことではないかという気がして、不安にも感じていた。しかし、こうした意味の電報であろうとは夢《ゆめ》にも思っていなかったのである。
「おどろいたかね。」
と、朝倉先生はさびしく笑いながら、今度は一通の封書《ふうしょ》を、同じ引き出しから取り出して、
「あらましの事情は、これを見ればわかる。君にはなるだけ心配をかけまいと思っていたが、もうかくしておいてもしかたがない。読んでみるがいい。」
次郎は封書を受け取ると、まず発信人の名を見た。杉山悦男《すぎやまえつお》とあった。杉山は現在文部省の社会教育課に籍《せき》をおいて、主として青年教育の事務を担当している人だが、かつての朝倉先生の教え子で、田沼《たぬま》先生とも近づきがあり、自然友愛塾にもしばしば出入りして次郎ともかなり親しい仲になっていた。次郎はある信頼感《しんらいかん》を抱《いだ》いて手紙をよんだ。
手紙の文面はさほど長いものではなかった。
「……小生としては、立場上、くわしい事情を述べる自由も有しませんし、また述べても今さら何の役にもたつことではなく、単に先生のお気持ちを損《そこな》うだけにすぎないと思いますのでそれは省略いたしますが、とにかく、各府県の社会教育課の青年ないし青年団の方針が、今後はいっそう片寄ったものになるにちがいありません。ことに幹
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