おきますが、この塾堂には、秘密の室とか、出入り制限の室とかいうものは一室もありませんし、また了解《りょうかい》のもとにここの門をはいって来た人なら、どんな人でも家族同様の気持ちでお迎えすることになっています。ですから、皆さんもどうかそのおつもりで、今日はお客でなく、もとからの家族だというお気持ちでおすごしくださるようにお願いしたいと思います。」
 次郎がそう言って引きさがると、大河無門がすぐ手をあげて、何か友愛塾の塾生たちに合い図をした。すると、塾生たちは、五人、七人とかたまって、興国塾生たちのほうに近づいて行き、「関東地方の諸君はこちらに」とか、「東北地方の方は私どもがご案内します」とか、いったぐあいに、口々に叫《さけ》びだした。
 次郎は、もうそのときには、塾生たちのほうよりは、荒田老や小関氏のほうに注意をひかれていた。黒眼鏡をかけた荒田老の表情はほとんどわからなかった。ただ気のせいか、そのでっぷりとふとったきずだらけの顔が、いつもよりいくぶん赤味をおびているように見えただけだった。
 しかし、小関氏の表情はたしかに普通《ふつう》ではなかった。骨にぴったりとくっついたような、青白い、つるつるに光った顔面筋肉が、唇《くちびる》を中心にびりびりとふるえており、その眼は塾生たちのほうを見つめて凍《こお》ったように動かなかったのである。
 次郎は二人を見た眼を転じて、朝倉先生と夫人の顔をのぞいた。先生のほうはべつに変わった顔もしていなかったが、夫人はさすがに緊張《きんちょう》していた。先生はしばらくして小関氏に言った。
「では、夕食まで私の室でお休みいただきましょうか。それまでは、私たちは、べつに用もなさそうですし。」
 小関氏はそれには答えないで、ちょっと荒田老の顔を見たあと、詰問《きつもん》するように言った。
「こういう計画はあなたがおたてになったんですか。」
「いいえ、塾生たちに考えてもらったんです。ここでは、なるだけ塾生たちの創意を生かす方針でやっているものですから。」
「なるほど。すると、あなたもこういう計画だということは、今はじめておわかりになったんですね。」
「そうじゃありません。決めるまえには、むろん私にも相談はするんです。」
 小関氏は、もう一度荒田老の顔をのぞいた。それからつめたい微笑《びしょう》をもらしながら、
「じゃあ、今日の計画は、やはり、あなたがお認めになった計画ですね。」
「それはそうですとも。」
 と、朝倉先生は相手の皮肉にはいっこう無頓着《むとんちゃく》なように、まじめくさって、
「創意を生かすといったところで、任せっきりでは、まだ何といってもあぶないことがあるものですから。」
「しかし、あなたにお認めいただいたにしては、今日のご計画は少し変ではないですかね。」
 小関氏は、真正面から切りこむ肚《はら》をきめたらしく、その顔には、もうつめたい微笑も浮《う》かんでいなかった。
「そうでしょうか。」
 と、朝倉先生はやはりとぼけている。
「こんなに、ばらばらになってしまっては、第一、眼もとどきませんし、まじめに意見の交換をやるかどうか、わからないじゃありませんか。」
「それはだいじょうぶでしょう。青年は信じてさえやれば、それほど裏おもてのあるものではありませんから。」
 小関氏の青白い頬《ほお》がぴくりと動いた。が、すぐ、
「かりにまじめな意見交換が行なわれたとしましても、議論になった場合、その黒白はだれがつけてやるんです。」
「青年たちがおたがいの間でつけるんじゃありますまいか。」
「それができれば、言うことはないんです。しかし、万一まちがった結論になった場合、おたがいに、指導者としての責任は、どうなんです。」
「あとで正す機会はいくらでもあるでしょう。私はむしろそのほうが指導が徹底《てってい》するんじゃないかと考えるんですが。」
「それはどういう意味です?」
「このごろの青年たちは、とかく指導者の前では存分にものが言えない。言っても迎合的《げいごうてき》なことを言う。これは指導者があまり急いで結論を押しつけるからじゃないかと思います。私は、青年たちに、自分たちでものを考え、自分たちで意見を戦わして、たといまちがいでもいいから、いちおう自分たちの判断を生み出さしておいて、そのあとで正すべきものを正してやる、というふうにしたい。そうでないと、せっかくの指導がほんとうに身につかないように思いますが。」
「なるほど。つまり自由主義的な指導をなさろうというのですね。」
 小関氏の顔には、ふたたび冷たい微笑がうかんだ。
「自由主義というかどうか、私には主義のことはわかりませんが、しんからまじめで、表裏のない、そして感情に走らない国民を養うのには、そうした指導が必要だと信じています。」
「すると、あなたは――」
 と、小関氏がいきりたった調子で何か言おうとした。が、それより早く、荒田老の、さびをふくんだ、恫喝《どうかつ》するような声がきこえた。
「小関さん、もう問答は無用です。」
 荒田老は、そう言って、数秒の間その黒眼鏡をとおして二人のほうに眼をすえているようだったが、
「朝倉さん、あんたはせっせと小理屈《こりくつ》のいえる青年をお育てになるほうがよかろう。じゃが、言っておきますが、あんたのお育てになるような青年は、もう日本には用がありませんぞ。これからの日本に役にたつのは、理屈なしに死ねる青年だけですからな。」
 それから、すぐ横につきそっていた鈴田《すずた》のほうを向いて、
「どうれ、帰ろうか。せっかく来たが、もう用はない。」
 鈴田はじろりと朝倉先生を横目で見たあと、荒田老の手をひいて、自動車のほうにあるき出した。
 もうその時には、双方の塾生たちは地区別にわかれてほうぼうに散っていた。あとには、朝倉先生夫妻と小関氏と次郎の四人だけが立っていたが、朝倉先生が、
「お帰りですか。」
 と荒田老のあとを追うと、ほかの三人も、だまってそのあとにつづいた。
 自動車の扉《とびら》がしまるまえに、朝倉先生は近づいて行って、言った。
「どうも相すみませんでした。せっかくおいでいただきましたのに。」
 荒田老は、しかし、それには答えないで、
「小関さんは、塾生をほっておいて帰るわけにもいきませんな。お気の毒じゃ。」
 自動車は気まずい沈黙《ちんもく》のうちに動きだした。四人はそれが門外に消えるまで見おくつていたが、その間も沈黙がつづいた。
 やがて朝倉先生が小関氏を見て言った。
「ともかくも中にはいってお休みいただきましょう。ここではお茶も差しあげられませんし。」
「ええ。」
「塾生たちの様子は、あとで、集まっているところをまわってお歩きになっても、大よそわかると思いますが。」
「ええ。」
 小関氏は、にがりきって、ただなま返事をするだけだった。それでも、朝倉先生が歩きだすと、しぶしぶそのあとにつづいた。朝倉夫人と次郎は、二三間はなれてそのあとを追った。二人はあるきながら、何度も顔を見あったが、口はきかなかった。
 玄関をはいるころになって、小関氏が言った。
「せめて夕食後の時間でも、もっと有効に使ってもらいたいと思いますね。」
「もっと有効にとおっしゃいますと?」
 朝倉先生は、靴《くつ》をスリッパにはきかえながら、小関氏の顔を見た。
「全部を娯楽会《ごらくかい》みたいなことに使うのはもったいないじゃありませんか。お任せした以上、いけないとおっしゃればそれまでのことですが、その一部分でも、全員集まっての意見交換に使ってもらいたいと思っているんです。」
「なるほど、いや、よくわかりました。そういうご希望であれば、その通りにいたさせましょう。変更《へんこう》するのは、わけはありません。」
 朝倉先生は軽くこたえて、すぐその場で、次郎にそのことをつたえた。次郎はちょっと不安そうな顔をしたが、承知するよりほかなかった。
 それから夕食までの時間が、四人にとってながい時間であったことはいうまでもない。とりわけ朝倉先生と小関氏にとってそうであった。二人は塾長室にはいって腰をおろしてはみたものの、どちらからもあまり口をきかなかった。朝倉先生は小関氏の「意見」を誘発《ゆうはつ》しないような適当な話題を見いだすのに困難を感じたし、小関氏は朝倉先生にすっかり見切りをつけて、もう自分の欲する話題を提供するのをいさぎよしとしなかったのである。
 テーブルの上には、この塾堂にしては珍《めずら》しい、豪華《ごうか》な洋なまなどを盛《も》った菓子鉢《かしばち》がおいてあったが、それも朝倉先生が一つつまんだきりだった。小関氏は、朝倉夫人がたびたび茶を入れかえにはいって来て、そのたびごとにすすめても、見向こうともしなかったのである。
 二人の沈黙は、それでも、初めの三四十分間は、さほど息苦しいものではなかった。というのは、地域別にわかれた双方の塾生たちが、塾内をくわしく見てまわるのには、少くともそのぐらいの時間が必要だったし、そしてその間は廊下《ろうか》にはたえずさわがしい人声と足音がきこえ、塾長室の戸がひらかれて、中をのぞきこまれることさえたびたびだったからである。
 しかしそのさわぎが治まって、塾生たちがそれぞれ割りあてられた室に落ちついてしまうと、ちょうど、音をたててぶっつかりあっていた浮氷《ふひょう》が急に一つの氷原にかたまったような沈黙が支配した。それはごまかしのきかない沈黙だった。二人はめいめいにテーブルの上にあった新刊の雑誌にでも眼をとおすよりしかたがなかった。
 そのうちに、小関氏はひょいと立ちあがって、一人で室を出た。便所にでも行ったのか、と朝倉先生は思っていたが、そうではなかった。小関氏は、塾長室の窓から見える草っ原に、十人あまりの青年たちが円陣《えんじん》を作っているのを認め、そのほうに出かけて行ったのだった。朝倉先生がそれを知ったのは、かなりたったあと、次郎からの報告によってであった。
「あの班には、大河君がいるんです。」
 次郎はそうつけ加えて、意味のふかい微笑をもらした。朝倉先生はただうなすいただけだったが、それからは、たえず窓ごしに小関氏のほうに眼をひかれていた。小関氏は、青年たちの円陣に加わるのでもなく、かといって遠くにはなれるのでもなく、あたりをうろつきまわったり、急に立ちどまったり、また、たまには腰をおろしたりして、話に耳をかたむけているかのようであった。
 そうして、ともかくもながい数時間が終わって夕食の板木《ばんぎ》が鳴った。
 夕食の食卓《しょくたく》は、これもやはり地域別に配列され、双方の塾生が一人おきに入りまじって座を占《し》めることになっていた。ごちそうはあたたかいさつま汁《じる》だった。食事の作法は、双方のしきたりにかなりなちがいがあったが、郷《ごう》に入っては郷に従ってもらう主旨《しゅし》で、友愛塾の簡単な日常生活の方式、つまり「いただきます」と「ごちそうさま」のあいさつだけですまし、その他は「無作法にも窮屈《きゅうくつ》にもならないように」各自に心を用いてもらうことになった。食事がすみ、食器が片づくと、それに代わって茶菓が運ばれた。友愛塾では、開塾中に先輩《せんぱい》から陣中見舞《じんちゅうみまい》と称して、しばしば各地の名産が送られて来たが、この時も、ちょうど青森のりんごが三|箱《はこ》ほど届いていたので、それもむろん食卓をかざった。その色彩《しきさい》の豊かさは、興国塾の塾生たちの眼を見張らせるのに十分であった。
 準備がととのうと、進行係の次郎が言った。
「ではこれからお約束の懇親会《こんしんかい》にはいりたいと思いますが、そのまえに、もし、昼間の意見交換会で論じ足りなかった問題とか、あるいは、全員が顔をそろえたところで論議してみたい問題とかいうようなものがありましたら、ご発表を願います。これは実は興国塾の塾長先生からのご希望もありましたので、茶菓のほうはしばらくお預けにして、まずそのほうから片づけたいと思います。」
 次郎は皮肉を言うつもりではなかったが、言ってしまって
前へ 次へ
全44ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング