日の手順などのことについてではなかった。そうしたことは、もうたいてい塾生たちの分担に任しておいても、決して不安はなかったのである。ただ、かれがたえず悩んだのは、ともすると心の底に、朝倉先生のいわゆるけちな闘志《とうし》がうごめくことであった。交歓会とは名ばかりで、その実、戦いをいどまれているようなものであり、しかも、その結果いかんは、ただちに塾の運命を左右するのだ、と思うと、怒《いか》りがこみあげて来て、何くそ、負けてなるものか、という気になる。
 だが、そうした闘志に身を任せることは、決して友愛塾としての真の勝利をもたらすゆえんではない。それどころか、そのこと自体がすでに敗北を意味するのだ。かりに百歩をゆずってそうした闘志をゆるすとしても、その闘志をどう使えば相手を打ち負かすことができるのか、相手はこちらが相手以上に軍国調にならないかぎり、絶対に負けたとは思わない人たちなのだ。そう思いかえしては、自分をおさえるのだったが、おさえればおさえるほど、無念でならない気がして来るのである。
 こうした闘志は、むろん次郎だけのものではなかった。気の強い塾生たちの中には、次郎ほどの反省力や責任感がないせいもあって、あからさまにそれを口に出していうものも決してまれではなかった。それがいっそう次郎をなやました。かれは自分自身の闘志にたえずなやまされつつ、その同じ闘志が他の塾生たちの心にきざすのを注意ぶかく警戒《けいかい》していなければならなかったのである。
 そのために、かれはもうこれまでのように、ひまさえあると自分の室にばかりとじこもっているというわけにはいかなかった。かれは塾生たちの気持ちの動きを知るために、かれらとの個人的|接触《せっしょく》の機会をできるだけ多くすることにつとめなければならなかった。このことは、自然かれをいくらか饒舌《じょうぜつ》にし、一見いかにも快活らしく見せた。しかし、それが見かけだけのものであったことは、かれ自身が一ばんよく知っていたのである。
 こうして、ついに約束《やくそく》の土曜日が来た。天気は快晴というほどではなかったが、この季節の武蔵野《むさしの》にしては、風も静かで、割合あたたかい日だった。準備は昨夜までにすっかりととのっていたので、塾生たちの気分には十分のゆとりがあり、午前中は、外来講師小西先生の民芸に関する講義も落ちついてきいた。小西先生は良寛和尚《りょうかんおしょう》を思わせるような風格の人で、その言葉や動作の中に作為《さくい》のないユーモアがあふれ、それが話の内容にぴったりしていて、この日の講義としては、あつらえ向きだった。
 中食後の座談がすむと、民芸に特別の関心を有する二三の塾生が小西先生の帰りを見おくって、門のあたりまでついて行った。そのほかの塾生たちも、そのあとから、ぞろぞろと塾庭に出て、三人五人と、草っ原に腰《こし》をおろしたり、森をぶらついたりしていた。その光景は、いかにものんびりしていた。今日のお客を迎《むか》える前にしてはのんきすぎるようにも思えたが、これも実は次郎と大河とが組んだプログラムの中の、かくれた一コマだったのである。
 一時ちょっと前になると、朝倉先生夫妻も塾庭に姿をあらわした。それとほとんど同時に、自家用車らしい黒塗《くろぬ》りの自動車が一台、正門をすべりこんで来るのが見えた。みんなの眼《め》は、自然そのほうにひかれた。中でも次郎の眼がぎらりと光った。かれはその時、草っ原に腰をおろしていた仲間の一人だったが、いきなり立ちあがって、朝倉先生のほうに走って行き、何かささやいた。
 自動車は、もうその時には、二人のすぐ前まで来ていたが、通りすぎたかと思うと、すぐとまった。そして、その中から出て来たのは、鈴田《すずた》に手をひかれた荒田老《あらたろう》だった。
「あっ、荒田さんでしたか。ようこそ。……あなたがお出《い》でになることは全く存じがけなかったものですから、どなたのお車かと思っていました。」
 と、朝倉先生が歩みよりながら声をかけた。
 荒田老は、和服の上にマントをひっかけ、毛皮製のスキー帽《ぼう》みたようなものをかぶっていたが、帽子には手もかけず、
「やあ、塾長《じゅくちょう》さんですか。」
 と、黒眼鏡を朝倉先生の声のするほうに向け、
「今日は、しばらくぶりで、わしも見学にあがりましたんじゃ。まだ興国塾からは見えませんかな。」
「一時に到着《とうちゃく》という約束になっていますので、もうすぐ、見えるでしょう。」
 そう言っているうちに、正門の外から、「歩調取れ」というかん高い号令の声がきこえ、つづいて、カーキー色の服を着た一隊の青年が、ももを高くあげ、手を大きく前後にふりながら、堂々と門をはいって来た。
 それを見ると、こちらの塾生たちは、ほうぼうから急いで朝倉先生の立っている近くに集まって来た。そして、手を高くあげて叫《さけ》んだり、拍手《はくしゅ》をしたりして、歓迎《かんげい》の意を表した。むろん、みんなの顔は笑いでほころびていた。それはちょうど町の群衆が凱旋《がいせん》の軍隊を迎える時のような光景であった。
 その間、先方の隊はわき目もふらず行進しつづけて来たが、やがてこちらの集まっている前まで来ると、「分隊止まれ」の号令で停止し、「左向け左」の号令で横隊《おうたい》になった。そして両翼《りょうよく》の嚮導《きょうどう》によって整頓《せいとん》を正され終わると、そのあとは壁《かべ》のように動かなくなった。
 同時に、こちらの歓迎のざわめきもぴたりととまり、あたりはしいんとなった。
 すると、それまで隊のあとから見えがくれについて来ていた背広の紳士《しんし》が、つかつかと進み出て、まず荒田老と、つぎに朝倉先生と、あいさつをかわした。年格好《としかっこう》といい、容貌《ようぼう》といい、その人が興国塾長の小関氏であることは、次郎には一目でわかった。
 小関氏は、あいさつをすますと、こちらの塾生たちの群をさげすむように見ながら、朝倉先生に言った。
「どういう順序になっていますかね。私のほうは、もうすべてご予定通りに動くように準備ができていますが。」
「あ、そうですか。これは失礼しました。」
 と、朝倉先生は、すぐそばに立っていた次郎をかえり見て、
「じゃあ、予定どおりすすめてくれたまえ。」
 そこで次郎は双方《そうほう》の中間に進み出て言った。
「僕《ぼく》は、本田という者です。今日の進行係をつとめさしていただきます。実はいちおう皆《みな》さんを舎内にお迎えした上で予定のプログラムを進めるのが礼儀《れいぎ》だと思いますが、幸いに天気もよいし、それにこれからの進行の都合もありますので、双方の最初のごあいさつの交換《こうかん》だけは、この青天井《あおてんじょう》の下でお願いしたいと思います。では、まず友愛塾生代表の歓迎《かんげい》の辞……」
 すると、大河無門がのそのそと進み出て、歓迎の辞をのべた。それはきわめて簡単だった。わざわざ訪ねて来てもらったお礼と、うちくつろいで歓談してもらいたいという希望とをのべたにすぎなかった。それに要した時間も、おそらく一分以上には出なかったであろう。
 つぎは先方のあいさつだった。隊の指揮《しき》をしていた青年が、そのまま先方の代表として進み出た。かれはまず大河をはじめこちらの塾生たちに厳粛《げんしゅく》な挙手《きょしゅ》注目《ちゅうもく》の礼をおくったあと、精一ぱいの声をはりあげて、
「不肖《ふしょう》黒田勇は興国塾生一同を代表して、友愛塾の諸兄に初対面のごあいさつを申し述べる光栄を有します。」
 と叫んだ。それから、およそ五六分間は、十分に暗誦《あんしょう》して来たらしい文句をつらねて、熱烈《ねつれつ》に世界の大勢を説き、日本の生命線を論じた。そして論旨《ろんし》を一転して青年の思想問題に入りかけたが、そのころからかれの言葉は次第《しだい》にみだれがちになり、またしばしばゆきづまった。ゆきづまると、かれの視線はきまって空のほうにはねあがり、血走った白眼が大きく日に光った。そんなふうで、さらに五六分の時間がどうなりすぎたが、そのうちに、いくら空をにらんでも、どうしてもあとの言葉がつづかなくなってしまった。するとかれは、ちょっと肩《かた》をすくめ、右手をあげて耳のうしろをかいた。それからにやりと笑って胸のかくしから草稿《そうこう》を引きだし、大いそぎでそれをめくった。
 そのあと、かれがふたたびもとの厳粛さと熱烈さをとりもどしたことは言うまでもない。それは、しかし、必ずしも草稿にたよれるという安心ができたからばかりではなかったらしい。というのは、かれの演説は決して単なる朗読《ろうどく》演説ではなく、一つの句切りの最初の言葉さえ見つかれば、あとの数行は草稿なしでも自然に口をついて流れ出て来たし、そのあいだに、かれはかれの予定通りの厳粛さと熱烈さとを十分に発揮《はっき》することができたからである。ただかれのために残念だったのは、かれの前にテーブルが据《す》えてなかったことであった。もしそれさえあったら、かれはもっと巧《たく》みに草稿に眼を走らせることができたであろうし、またしたがってかれの演説はいっそう雄渾《ゆうこん》であることができたかもしれなかったのである。
 かれは最後に、草稿をにぎった左手を腰のうしろにまわし、右手で力一ぱい空間をたたきつけながら言った。
「諸君、お互《たが》いの修練の場所はちがっても、等しくこれ日本の青年であります。日本の青年である以上、修錬の目的とするところは全く同一《どういつ》でなければなりません。その意味で、諸君がすでにわれわれの同志であることは、一点の疑いをいれないところであります。ただ、人により、また修錬の場所により、体得するところに深浅《しんせん》高低の差があるのは、おそらく免《まぬが》れがたいところであり、また時としては、自ら知らずして誤まった方向に進んでいる者もないとは限りません。そのことに思いをいたしますと、本日の交歓の意義はまことに深いものがあります。われわれは、この半日の交歓において、われわれの信念と体験の全部をひっさげて諸君にぶっつかるつもりでやってまいりました。諸君もまた全力をあげてわれわれの妄《もう》をひらかれんことを希望します。終わりっ。」
 かれはもう一度挙手の礼を送り、まわれ右をして、駆《か》け足《あし》で隊の右翼《うよく》に帰って行き、そこではじめて「休め」の号令をかけた。
 すると次郎がふたたび進み出て、言った。
「では、これからしばらくの間、皆さんにこの塾の施設《しせつ》を見ていただきたいと思います。それには、小人数にわかれて見ていただくほうが、説明や何かにも便利だと思いましたので、こちらは、九州班とか東北班とかいうぐあいに、地区別にわかれてご案内をすることにいたしております。皆さんのほうでも、そんなぐあいにわかれていただけば、何よりだと思います。そして一通りご覧くだすったあと、夕食までの時間を、お互いの意見交換なり研究なりに費したいと思いますが、それもやはり地区別にわかれてやったほうが、自然親しみもあり、話が具体的にもなって、将来の連絡《れんらく》提携《ていけい》のために非常にいいのではないかと考え、そういうことにプログラムを組んでおきました。ご懇談《こんだん》くださる場所は、いちおう本館の各室をそれぞれ割り当てておきましたが、天気もこんなにいいことでありますし、森蔭《もりかげ》や草っ原をご利用くださるのも一興《いっきょう》かと思います。その辺は各班のご希望によって、ご随意《ずいい》にお願いいたします。夕食は五時半に、本館の広間に集まって、ごいっしょにいただくことにしておきました。そのあと、八時のお引きあげの時刻までは、親交を主としてできるだけおもしろくすごしたいと思います。その進行係は私にお任せ願いますが、あるいは皆さんに隠《かく》し芸《げい》を出していただくようなことがあるかもしれませんから、そのご用意を願っておきます。なお、念のため申しそえて
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