いという好奇心《こうきしん》もかなり強く手伝っていたらしかった。
次郎は、まだやはり道江の手紙のことが気になって、外出する気にはむろんなれず、かといって落ちついて読書もできず、例によって日あたりのいい広間の窓によりかかって、ひとりで思い悩《なや》んでいた。床《とこ》の間《ま》の掛軸《かけじく》に筆太《ふでぶと》に書かれた「平常心」の三字も、今のかれにとっては、あまりにもへだたりのある心の消息でしかなかったのである。
塾生たちの出はらった本館の静けさは、気味わるいほどだった。そとには風もなかった。霜柱《しもばしら》のくずれる音さえきこえそうな気がした。次郎は、しかし、あたりが静かであればあるほど、気がいらだつのだった。
ふと、しずかな空気をやぶって、玄関《げんかん》のほうに人の足音がした。つづいて、
「次郎さん、いらっしゃる?」
と朝倉夫人の声がきこえ、事務室と次郎の室との間の引き戸をあける音がした。
次郎があわてて広間にとび出すと、朝倉夫人は、もう廊下《ろうか》をこちらに歩いて来ながら、
「何かお仕事?」
「いいえ。」
次郎はどぎまぎして答えた。夫人は微笑《びしょう》した眼を次郎にすえながら、
「このごろ空林庵のほうはすっかりお見かぎりのようね。でも、今日はぜひいらっしていただかなければなりませんわ。」
次郎がいくぶん顔をあからめながら、眼を見はっていると、
「今日は、先生と三人で重大会議を開かなければなりませんの。」
「重大会議? 何でしょう。」
朝倉夫人は、やはり微笑したまま、それにはこたえず、
「もし大河さんが外出していらっしゃらなかったら、次郎さんとごいっしょに、ご相談に加わっていただきたいんですって。だけど、いらっしゃるかしら。」
「さあ。」
次郎は大河の名が出たので、いよいよまごついた。「さあ」というかれの返事は狼狽《ろうばい》の表現でしかなかったのである。
「じゃあ、ちょっとお室《へや》をのぞいてみてくださらない? そして、もしいらしったらすぐごいっしょに空林庵のほうにおいでくださいね。」
朝倉夫人は、そう言って、いそいで玄関を出て行った。
次郎は、考える余裕《よゆう》もなく、すぐ第五室に行って戸をノックした。
「はあい。」
にぶい大河の返事がきこえた。戸をあけると、大河は坐禅《ざぜん》でも組んでいたかのように、背筋《せすじ》をのばしてあぐらをかいていた。かれの前の机の上には、何一つのっていなかった。窓の光線をうしろにしてふり向いたその顔には、近眼鏡のふちだけが強く光った。
次郎が朝倉夫人の言葉をつたえると、
「そうですか。」
と、べつにふしぎに思った様子もなく、のっそりと立ちあがり、それっきりだまって次郎のあとについて来た。次郎も空林庵の玄関を上がるまで、口をきかなかった。
空林庵の朝倉先生の書斎《しょさい》は、深く陽《ひ》がさしこんで温室のようにあたたかだった。二人がはいって来ると、先生はすぐ言った。
「やあ、大河君も来てくれたか。いてくれてしあわせだったな。……実は、ちょっとうるさいことがあってね。それが対外的の意味をもっているんで、いつもの通り、いきなり塾生みんなの相談にかけても、どうかと思ったもんだから。……」
対外的という言葉をきいて、次郎の眼はやにわに光った。それはこのごろにない鋭《するど》い光だった。大河もいくぶん緊張《きんちょう》した顔をして朝倉先生を見つめた。
朝倉先生は、しかし、笑いながら、
「対外的なんていうと、少し大げさにきこえるかもしれんが、そう大したことじゃない。いわゆる招かれざる客がやって来るだけのことなんだよ。」
そう言って朝倉先生が説明したところによると、その招かれざる客というのは、小関氏を塾長とする興国塾《こうこくじゅく》の塾生約五十名で、来塾の目的は見学と交歓《こうかん》、日時は今度の土曜の午後一時から夜八時まで、夕食をともにするが、実費は先方の分は先方で負担する、プログラムは当方に一任、ただし、意見|交換《こうかん》の時間をできるだけ長くする、というのであった。
「いつの間に、そんなことがきまったんですか。」
次郎は、話をきき終わると、詰問《きつもん》するようにたずねた。
「つい二三日前。――荒田《あらた》老人から、田沼《たぬま》先生を通じて申し入れがあったんで、そうきめたんだ。こないだ君もきいて知っているだろうと思うが、やはりこれも、私設青年塾堂の全国的連合組織を作るための準備工作だそうだ。」
「どうしてそれをお断わりにならなかったんです。」
「表面、悪いことではないし、それを強《し》いて断わるのは現在の客観的情勢が許さないのでね。」
「しかし、先方の肚《はら》はまるでちがったところにあるんでしょう。」
「むろんちがっているだろう。……まあ昔《むかし》でいえば、道場やぶりというところだろうね。」
次郎は、そんなことを平気で言う朝倉先生が、ふしぎでならなかった。まさか先生が、時代の重圧に負けてやけくそになるわけがない。そうは思うが、やはり何となく不安である。かれはだまって先生の顔を見つめた。すると先生は、その澄《す》んだ眼をぱちぱちさせながら、
「道場やぶりがこわいかね。」
次郎はめんくらった。同時に闘志《とうし》に似たものがかれの心にうごめいた。
「そんなことないんです。」
と、かれはおこったように答え、きっと口をむすんだ。
「こわくなけりゃあ、そうむきになって拒絶《きょぜつ》することもないだろう。受けて立つという法もある。もしこういう機会に少しでもこちらの理想を相手の心に植えつけることができれば、むしろ一歩の前進だ。しかし、それにはけちくさい闘志を燃やしてはいけない。ただこちらのふだんの生活のすがたをくずさないようにすれば、それでいいのだ。人間は、結局、一番自然で、一番合理的な生活に心をひかれるものなんだから、君らがそれをくずしさえしなければ、いつかは必ず相手の心に響《ひび》く時があるだろう。それでいいんじゃないかな。どうだい、大河君。」
「ええ、結構だと思います。」
それまで眼をつぶって二人の話をきいていた大河は、無造作にそうこたえると、またすぐ眼をつぶった。
「本田君も、いいねえ。」
「ええ、わかりました。」
次郎の意識の中には、やにわに大河の存在が大きく浮《う》かんでいた。かれは朝倉先生に説き伏《ふ》せられたというよりは、大河の無造作な答えに説き伏せられたといったほうが適当であった。
「じゃあ、プログラムを二人で相談して組んでみてくれたまえ。こまかなことはどうでもいいんだ。どうせみんなにも相談してきめることなんだから、こまかなことは、その折にきめることにして、動かせない大筋《おおすじ》だけを考えておいてもらいたいね。かんじんなのは、ここの生活の空気をこわさないことだよ。できればお客さんをこちらの空気にまきこんでしまいたいのだが、そこまではちょっとむずかしいな。とにかく、そこいらがうまくいきさえすれば、あとは、どうでもいいんだ。」
「大変ね。」
と、その時、火鉢《ひばち》のはたでみんなのためにコーヒーをいれていた朝倉夫人が言った。
「でも、お二人でお考えくだされば、きっといいプログラムがおできになりますわ。」
それから、何か思い入ったように、
「あたし、その日は、お役にたつことでしたら、どんなことでもいたしたいと思っていますの。」
次郎はそのしみじみとした調子が変に気になりながら、コーヒーをすすった。
大河と次郎とは、それから間もなく本館にかえり、さっそくプログラムをねりはじめた。次郎が大河と二人きりでながい時間話すのは、しばらくぶりだった。かれの気持ちは変に落ちつかなかった。威圧《いあつ》されるような気持ちと、よりかかりたいような気持ちとがたえず交錯《こうさく》していたのである。しかし、一方では、かれのこのごろの暗い混迷した気持ちが、新しい問題を投げかけられたせいもあって、少しずつうすらいでいくかのようであった。
プログラムを組むのに、二人が最も重要だと思ったのは、意見交換の時間をできるだけながくするように、という先方の申し入れに、どう応ずるかということであった。先方の肚《はら》が、それによって激論《げきろん》をまきおこし、日本精神とか時局とかの名において、こちらを窮地《きゅうち》に追いこみ、あわよくば重大な失言をさせようとしていることは明らかであった。その手に乗ってはならない。かといって、その申し入れを無視するわけにも行かない。そこに二人の苦心があったのである。だが、これは大河の提案によってあんがい簡単に片づいた。それは八つの室に分散して地方別の懇談会《こんだんかい》を開き、それにできるだけ多くの時間を費すことであった。大河は言った。
「小人数にわかれると肩肘《かたひじ》張った演説もできまいし、それに地方別ということが、自然話題を地についたものにするだろうと思います。そうなると、こちらの生活のほんとうの意味が、先方の人たちにもいくらか納得《なっとく》してもらえるかもしれません。」
このことがきまると、あとはわけはなかった。二人は中食前にだいたいの案を朝倉先生に報告することができた。朝倉先生は一通り案に目を通すと、笑いながら言った。
「地方別懇談会とはうまく考えたね。先方では裏をかかれたと思うかもしれないが、文句をつけるわけにはいくまい。まあ、名案としておこう。」
それから、しばらく何か考えていたが、
「しかし、こういう細工をやるのは、あまり愉快《ゆかい》なことではないね。」
その日、塾生たちが外出から帰って来て夕食をすますと、さっそくその問題が相談にかけられたが、ほとんど原案通り決定された。ただ原案になかったことで、こちらの塾生代表と進行係とをだれにするかが問題になり、進行係のほうはすぐ次郎にたのむことにきまったが、塾生代表については、いろいろの意見が出た。室長の互選《ごせん》という意見も出たのでそれに落ちつけば一番合理的なはずだったが、それには室長の多数がふしぎに賛成しなかった。そして結局、青山敬太郎の発言で大河を推《お》し、それがほとんど全部の塾生に拍手《はくしゅ》をもって迎《むか》えられたのであった。
その晩、自分の室に帰った次郎の気持ちには、ふしぎな変化がおこっていた。かれは机の引き出しの奥《おく》深くしまいこんでいた道江の手紙を取り出して、もう一度しずかに読みかえした。そして読み終わると、すぐ二通の手紙を書いた。一通は道江あて、もう一通は恭一あてだった。恭一あてのには、
「道江からこんな手紙が来たが、僕《ぼく》には返事のしようがない。すべては君の責任において解決してもらいたい。」
とだけ書いて、道江の手紙を同封《どうふう》した。道江あてのもきわめて簡単だった。
「お手紙拝見。ご胸中同情にたえません。返事が遅《おく》れてすまなかったが、おたずねの人物については、いろいろ考えてみました。しかし、結局僕には見当がつきません。で、思いきって、お手紙をそのまま兄におくり、その返事を求めることにしました。あるいは直接そちらに返事が行くかもしれません。とにかく、この事については、兄自身がすべての責任を負うのが当然だと思います。道江さんもそのつもりで勇敢《ゆうかん》に兄にぶっつかってみてください。切に前途《ぜんと》の光明《こうみょう》を祈《いの》ります。」
一二 交歓会
それからの一週間は、次郎にとって、変に矛盾《むじゅん》にみちた明け暮《く》れだった。
二通の手紙を出したあとのかれの胸には、大きな空洞《くうどう》があいており、その空洞の中を、悔恨《かいこん》と、嫉妬《しっと》と、未練と、そしてかすかな誇《ほこ》りとが、代わる代わる風のように吹《ふ》きぬけていた。しかも、一方では、興国塾《こうこくじゅく》との交歓会をひかえて、その同じ胸が、空洞どころか、重い鉛《なまり》でもつめこんだように心配で一ぱいになっていた。心配といっても、それはむろん、こざこざした準備や、その
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