常に複雑だった。まず第一に、かれは恭一のやり方がきわめて愚劣《ぐれつ》であり、自分に対するこの上もない侮辱《ぶじょく》であると思った。自分が道江を思っていることは、道江の父にはもうはっきりわかっているにちがいない。それがまだ道江にはわかっていないとしても、いつかは彼女《かのじょ》の耳にもはいるだろう。その時の道江の顔を想像しただけでも、身がちぢむような気がするのだった。しかし、また一方では、道江が、「お友だちの名をたずねてみる気にもならなかった」と書いているのには、ある怒《いか》りを感じないではいられなかった。これが死ぬほど自分を愛している者に対する態度だろうか。かりに彼女の父があからさまに真実を語ったとしたらどうだろう。それでも彼女はそうした冷淡《れいたん》な態度に出られるのだろうか。もし出られるとすると、彼女にとって自分は一たい何なのだ。いや自分にとって彼女は一たい何なのだ。――そこまで考えると、恭一のやり方の愚劣さに対する怒りは、その底に、自分で意識しない嫉妬《しっと》の感情を波うたせて、いよいよ昂《こう》じて行くのであった。
かれは、しかし、懸命《けんめい》に自分を落ちつけて先を読んだ。今となっては、手紙を読みやめるのが卑怯《ひきょう》なような気がしたのである。
「そのあと、親子二人がどんな汽車旅行をつづけたか、また家に帰りついてから今日までの日々を、私がどんな気持ちですごしたか、それはいっさい次郎さんのご想像にお任せいたします。ただ私がこの数日間に考えましたことの中で、ぜひ次郎さんに知っておいていただきたいことがあります。それは、私のこれまで抱《いだ》いて来た希望が、全く根のない切り花のようなものであったとしましても、私はその希望を恥じても悔《くや》んでもいないということです。むろん、根のないものを根があるように信じこんでいた私の愚かさは、笑われても致《いた》し方ありません。しかし、その愚かさの中で育った希望そのものは、私にとっては、もう決して愚かな希望ではないのです。それどころか、それは私の生命の花であり、私の生命のあるかぎりは、たとえ根はなくとも決して枯《か》れることのない花なのです。私はその花を、根のないままに私の胸にさして一生を終わりたいとさえ思っているのです。次郎さんは、それを少女の感傷にすぎないとしてお笑いになるでしょうか。」
次郎は笑うどころではなかった。心のどこかにまだかすかに残っていたぬくもりが、すっとぬぐい去られたような気がしながら、いそいでつぎの行に眼を走らせた。つぎの行は、次郎にとって、いっそう残酷だった。
「しかし、次郎さん、これは決して私の感傷ではありません。なるほど、根のない花を、根のないままに胸にさして一生を終わるなどと申しますと、いかにもため息まじりの感傷にすぎないかのようにきこえるかもしれませんが、私はそういうことをただあきらめの気持ちで申しているのではないのです。私は弱い女ながらもやはり一人の人間として生きております。人間には意志があります。意志は、それにふさわしい知恵と情熱との助けをかりることさえできれば、根のない希望に根をはやすことだってできると信ずるのです。私はこのことを挿木《さしき》のことから思いつきました。次郎さんも、まだきっとお忘れではないと思いますが、何年か前の梅雨《つゆ》のころに、私と二人で、お宅の畑にいろんな木を挿木にしてみて、それがたいてい成功したので大喜びをしたことがありましたね。私、今度のことで思いなやんでいるうちに、ふとそのことを思い出したのです。それを思い出すと、私の胸には、何かしら勇気みたようなものがよみがえってきました。そしてそれと同時に、今は根のない私の希望も、それを大事に胸にさしてさえおれば、きっと根をはやすにちがいない、いや、根をはやさせずにはおかないと思うようになったのです。それにしても、次郎さんと二人で挿木をして楽しんでいたころの記憶《きおく》が、こうした場合に私を力づけてくれるなんて、運命というものは、何とふしぎなものでしょう。」
次郎の頭に、自然に浮かんで来たのは、いつもかれの人生|哲学《てつがく》の奥《おく》にひそんでいる「無計画の計画」という言葉であった。これは、しかし、この場合、かれにとって何とにがい味のする言葉だったろう。
「次郎さん、今、私がどんな気持ちでいるかは、これでもうおわかりくだすったことと思います。私はむろん悲しいには悲しいのですが、決して悲しみに負けてはいません。それだけはどうぞご安心ください。そして、もし私の今の気持ちをお認めくださいますなら、私がこれから進もうとする道にお力をおかしください。実は、私は、はじめのうち、私を思っていてくださるという恭一さんのお友だちがどなたであるか、知りたいとは少しも思いませんでした。それは前にも書いた通りです。しかしいろいろ考えていますうちに、すべてのことをはっきり知った上でありませんと、自分の進む道も見つからないだろうということに思いあたったのです。それで、今では一ときも早くその方のお名前を知りたいと思っていますが、父はなぜか、どうしてもそれを私に教えてくれません。何度かたずねてみましたけれど、いつもむずかしい顔をして、お前は知らないほうがいい、と答えるだけなのです。私自身では、恭一さんにどんなお友だちがおありなのか、それさえわかっていませんので、見当をつけようにもつけようがありません。もっとも、大沢《おおさわ》さんという方には上京中二三度お目にかかり、一度は恭一さんと三人で映画を見に行ったこともありましたので、あるいはあの方かとも思ってみました。しかし、お見うけしたところ、二度や三度顔を見たばかりの女に心を動かすような、そんな軽薄《けいはく》な方だとも思えませんし、そう疑ってみるだけでも失礼なような気がいたします。恭一さんだって、そんな軽薄な人を私におすすめくださるほど、私に対して不親切ではないでしょう。私は、私の希望に根をはやすために、せめてそれだけは信じていたいと思います。」
次郎は、鋭《するど》い切尖《きっさき》がじりじりと胸にせまるような気味わるさと、何もかもが身辺から消えて行くような寂《さび》しさとを、同時に感じながら、最後に残された二枚の便箋に眼を走らせた。
「こんなわけで、私にはその方のお名前を知る手がかりが全くありません。むりやりに父にたずねたら、あるいは、しまいには言ってくれるかもしれませんが、恭一さんのことを私に忘れさせようとして苦しんでいる父を、この上苦しめたくはありません。で、最後にたよるところは次郎さんです。実をいうと私ははじめのうち、こんなことを次郎さんに打ちあけたくはありませんでした。それは次郎さんに軽蔑されそうな気がして、それがこわかったからでもありますが、それよりも、恭一さんがそれをどうお思いになるだろうかと、それが心配だったからです。しかし、今はもうそんなことにかまってはいられません。私は、とにもかくにも、ほんとうのことが知りたいのです。ほんとうのことを知ることが、私のこれからの道を私に教えてくれるだろうという気がするのです。次郎さん、どうか私にお力をおかしください。軽蔑しながらでもいいから、お力をおかしください。私は何もめんどうなことをお願いするつもりはありません。ただその方のお名前とお所を知るだけで結構です。次郎さんなら、あるいはもう何もかもご存じでしょうとも思いますが、もしそうでしたら、すぐにもご返事をください。もしまだご存じなければ、恭一さんにおたずねになるなり何なりして、できるだけ早くお知らせください。私から直接恭一さんにおたずねしたらいいではないか、とお考えになるかもしれませんが、それは、今のところ私にはとてもできないことなのです。私がこの後恭一さんにお手紙を差しあげるのは、私を思っていてくださるというお友だちの方に、すっかり私のことを思いきっていただいたあとのことにいたしたいと存じております。このこともお心にとめていただいて、ぜひ今度だけはご返事をお願いいたします。自分のことだけを書きつらねて、ほんとに相すみませんでした。今の私の気持ちをお察しくだすって、どうかお許しください。」
それで手紙は一たん終わったが、宛名《あてな》のあとにさらにつぎの三行ほどが書きそえてあった。
「東京には大変なさわぎが起こっているそうですが、朝倉先生をはじめ皆《みな》さんさぞご心配あそばしていることでしょう。恥ずかしいことですが、私には、それさえ今はよそごとのような気がしてなりません。お笑いくださいませ。」
次郎は読み終わったあと、しばらくは化石したようにすわっていた。胸の中には、熱いとも冷たいともしれないものが、激《はげ》しい渦《うず》を巻いてその突破口《とっぱこう》を求めていた。
(何という醜《みにく》い一途《いちず》な執念深《しゅうねんぶか》さだろう。そして、何という落ちつきはらった我ままな要求だろう。愛情の対象として完全に自分を無視しておきながら、道江は一たいどんな返事を自分に期待しようというのだ。)
そう思うと、かれはにえるような怒りを感じた。
しかし、道江の執念を醜いと思う心は、すぐかれ自身にもはねかえってきた。
(道江に何の罪がある。道江はただ自分を信じてすべてを自分に訴えているだけなのだ。それを醜いと思う心こそ、何にもまして醜い心ではないか。我執《がしゅう》と自負と虚偽《きょぎ》とのわな[#「わな」に傍点]にかかって身もだえしている嫉妬心の亡者《もうじゃ》、それ以外に今の自分に何が残されているというのだ。)
憎悪《ぞうお》と自責とが恋情《れんじょう》の燈火《とうか》のまわりをぐるぐると回転した。それは際限のない回転だった。
いっそうかれをみじめにしたのは、道江の手紙が、かれに返事をせき立てていることだった。今度という今度は、これまでのように、まるで返事を出さないでおくというわけにはいかない。もし自分がそういう態度に出たら、道江は自分を人間だとは思わないだろう。それは次郎としてたえがたいことだった。だが、真実を書いた場合の結果を思うと、それは身ぶるいするように恐《おそ》ろしいことだった。それは自分の自尊心を台なしにして、道江をいっそう深い苦悩に追いこむだけのことではないか。――残された道はうその返事を書くことだが、では一たいどんなうそを書けばいいのか。第一、そんなことに心を苦しめて、それにいったい何の意味があるというのだ。
かれは迷いに迷った。そしてこの迷いにも際限がなかった。
とうとうその日は決心がつかないままに暮《く》れた。かれはうつろな心で塾の行事を終わり、解決を翌日にのばして、冷たい床《とこ》にはいった。眠《ねむ》られない一夜だった。混迷《こんめい》はやはり翌日もつづいた。また夜が来た。こうして二日とたち三日とたつうちに、かれはもうそのことを考えることさえいやになってきた。そして事実は、結局、返事を書かない決心をしたのと同じ結果になり、それがいよいよかれの気持ちを不安にし、かれを陰気《いんき》な沈黙に誘《さそ》いこんでいったのである。
道江の手紙を受け取って以来、次郎の関心が、事変後の国情とか、塾の運命とかいうようなことからいくぶん遠ざかっていたことは、いうまでもない。かれはおりおり自分でそのことに気がついて、ぎくりとした。一女性の問題に心を奪《うば》われて公《おおや》けの問題を忘れることは、かれにとっては、人間としての良心の問題であり、少なくとも自尊心の問題だったのである。そしてこの反省は、大河無門の顔がかれの視界にあらわれる時に、とりわけきびしかった。そのために、かれはこのごろいよいよ大河がおそろしくなってきたのだった。
さて、二月二十六日の事件が始まって十日近くもたつと、新聞の記事もそろそろ平常に復し、友愛塾では、しばらくぶりで日曜らしい日曜を迎《むか》えることになった。その日は天気もよかったので、塾生たちは朝食をすますと、先を争うようにして外出した。事変のあった現場を見た
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