、何かおもしろそうな問題らしいが、私では相手にならんかね。」
「ええ――」
 と、大河はにっと笑って立ちあがり、湯ぶねのふちに腰《こし》をおろしながら、
「先生は、恋愛をやられたとしても、時代が古いでしょう。」
「古くては、問題にならんかね。」
「全く問題にならんこともありませんが――」
 と大河は真顔になり、
「実は、ぼくは、世間できわめて重大だと考えている公《おおや》けの問題、たとえば現在でいうと、国家の非常時というような問題に対して、恋愛というものが、その本人にとって、実際どのぐらいの比重をもつものか、正直なところをきいてみたかったんです。」
「ふむ。」
 と、朝倉先生も真顔になって首をかしげた。
「むろん、恋愛か、戦場か、という問題につきあたった場合、日本の青年たちが実際にとる態度はもうきまっています。よほど変わった青年でないかぎり、国家の要請《ようせい》のまえには恋愛などは何でもないといった態度をとるんです。しかし、そういう態度がはたして恋愛の比重を正直にあらわしたものかどうかは、疑問だと思うのです。正直なところは、むしろ恋愛のほうの比重が大きい場合が、多いんじゃないでしょうか。」
「そうかもしれないね。何と言ったって、恋愛は本能的なものだから。しかし、恋愛のほうの比重が大きければ、それが、どうだというんだね。」
「ぼくは、日本の青年は、恋愛について、もっと正直であってもいいと思うんです。」
「というと、恋愛の比重が大きければ、公けの義務なんか、けっとばしてもいいと言うのかね。」
「一概《いちがい》にそうは考えていないんです。人間が組織の中に生きている以上、いっさいの個人的関心を乗りこえて果たさなければならない公けの義務があることは、ぼくも知っています。ただ、ぼくがおそれるのは、青年たちが、自分の心に問うてみて非常に比重の大きい、しかも、当然生かしてもいい、いや、進んで生かさなければならない純潔な恋愛までを、時局とか、国家の要請とかいうような意識で、むりにしめ殺しているんではないか、しめ殺さないまでも、その価値を不当に低く見ようとしているんではないか、ということです。」
「うむ、たしかにそういう憂《うれ》いはあるね。」
「しかも、時局とか、国家の要請とかいったような意識が、しっかりした理性に導かれたものであれば、まだいいのですが、たいていは、マンネリズムといいますか、群集心理といいますか、まあそういった程度のものでしかありませんし、そんなうすっぺらな意識で、深く生命の自然に根をおろした恋愛を否定したり、軽視したりするのは許しがたいことだと思うのです。」
 大河の声は、しだいに熱気をおびて来て、浴室のすみずみまでひびきわたった。みんなは私語《しご》をやめ、湯の音をたてることさえひかえて、かれのほうに注意を集中した。
「ぼく自身に恋愛の体験がなくて、恋愛を論じては、あるいは見当ちがいになるかもしれませんが、ほんとうの恋愛はどんな時局下でも抑圧《よくあつ》されてはならない。むしろ、時局が緊迫《きんぱく》すればするほど、それを正しく生かしてやるようにしなければならないと思っているんです。ほんとうの恋愛が抑圧されると、男女の関係は堕落《だらく》します。それは恋愛が人目にふれない暗いところに追いやられるからです。そして、そうなると、いっさいが不健全になります。時局のために精神主義の名において恋愛を軽視することが、かえって精神を低下させ、国民道徳の頽廃《たいはい》を招く、というような結果にならないとは限らないと思います。何と言ったって、恋愛は人間社会のあらゆる創造の源《みなもと》なんですから、それが正しく評価され、堂々と生かされないかぎり、すぐれた個人も、すぐれた民族も、すぐれた文化も生まれない。したがって、いわゆる精神主義とか鍛練《たんれん》主義とかで、どんなに力んでみても、国は衰《とおろ》えるばかりだということを、ぼくたちは忘れてはならないと思うんです。」
 大河はそこまで言って、みんなの注意が自分に集まっているのに、はじめて気がついたらしく、急に口をつぐんで、にこりと笑った。そして、もう一度、とっぷりと湯にひたり、首を湯ぶねのふちにもたせかけた。
「さすがはお釈迦さまだ。これからは、みんな安心して、恋文が書けるぜ。」
 だれかが浴室のすみから、そんなことを言った。すると、また、べつの声で、
「恋文なら、もう安心して書いているんじゃないか。現に今日もたくさん出たんだろう。」
「しかし、それは時局がら憂うべき傾向だなんて憤慨《ふんがい》した人もいたからね。」
 それで浴室はまたにぎやかになり、笑い声がうずまいた。大河は、しかし、もうにこりともしなかった。
 朝倉先生は、何かものを考えるときのくせで、その澄《す》んだ眼をぱちぱちさせながら、湯ぶねを出て、からだをふいていたが、みんなの笑い声がしずまると、言った。
「大河君の考えている恋愛と、君らの考えている恋愛との間には、かなりのへだたりがありそうだ。うっかり安心して、やたらに恋文を書いていると、今に大河君に叱られるかもしれないよ。」
 みんなは、それでまた笑った。しかし、その笑いは、まえほどにぎやかではなかった。
 次郎も、大河の議論のはじまる前から浴室にいた一人だったが、かれは、大河が話している間、湯ぶねの中には一度もはいって来なかった。それどころか、しじゅう自分の顔を大河からかくすようにさえしていたのである。しかし、だれよりも熱心に耳をかたむけていたのが、かれであったことは言うまでもない。
 かれは、むろん、大河の言葉のすべてを肯定《こうてい》した。しかし、肯定すればするほど、やり場のない感情がかれの胸をしめつけ、ゆすぶり、にえたぎらした。
 それは後悔《こうかい》でもあり、自嘲《じちょう》でもあり、怒《いか》りでもあった。かれは浴室に立ちこめた濃《こ》い湯気《ゆげ》の中にじっと裸身《らしん》を据《す》え、ながいこと、だれの眼にも見えない孤独《こどく》の狂乱《きょうらん》を演じていたのである。

   九 異変(※[#ローマ数字1、1−13−21])

 恭一からは、それっきり何の音沙汰《おとさた》もなかった。次郎には、日がたつにつれ、それが気になって来た。
 自分であんな返事を出しておきながら、それに対して、恭一から押《お》しかえして、また何か言って来るのを期待するのは、おかしなことだし、むろん、返事を書くときに、それを予期していたわけでは毛頭《もうとう》なかった。それにもかかわらず、かれは、三日とたち、四日とたつうちに、朝夕二回配達される郵便物がしだいに待ちどおしくなり、その中にそれが見つからないと、失望もし、何か欺《あざむ》かれたような気にさえなるのだった。
 しかし、また一方では、自分がそんな気持ちになるのを、するどく反省もした。そして反省の結果は、いつもたえがたい自己|嫌悪《けんお》と自嘲だったのである。
 何という弱さだ。いや、何という見ぐるしさだ。いったい自分は、これまで自分を育てるために何をして来たというのだ。白鳥会以来の苦心と努力とは、いったい何を目あてにしたものだったのだ。こんなふうでは、自分は、里子《さとご》から帰って来た幼年時代と少しも変わったところがないではないか。いや、あのころの自分は、まだ今ほどには見ぐるしくはなかった。なるほど、自分はあのころ、虚言《きょげん》、策略《さくりゃく》、暴力、偽善《ぎぜん》、そのほかありとあらゆる卑劣《ひれつ》な手段を毎日もてあそんでいた。しかし、それらはすべて、自分の心の底からの願い、――自分にとっては生きるということと全く同じ意味をもつほどの、せっぱつまった願いをみたすために、自然が自分に教えてくれた手段だったのだ。自分は何よりもまず母の愛を求めていた。また、母をはじめ、肉親の人たちの自分に対する公平な待遇《たいぐう》を求めていた。それはあのころの自分にとって、決して不当な願いではなかったはずなのだ。いや、不当の願いでないどころか、それはかえって、自分を虚偽《きょぎ》や、策略や、暴力や、偽善から救い、正常な人間になるために、絶対に必要な願いであったとさえいえるのだ。その意味で、あのころの自分は、無意識的ではあったにせよ、自分に対してきわめて忠実であったと言えるのではないか。しかるに今はどうだ。今の自分のどこに少しでも真実さというものが残されているのだ。自分は、いったい、自分にとってどんなたいせつな願いを生かそうとしているのだ。どんなたいせつな願いを生かそうとして、兄に対してあんな返事を書いたというのだ。――
 道江《みちえ》の生涯《しょうがい》の幸福のために?――なるほど、自分は心のどこかで、そんなことを考えていないのではない。だが、それがはたして自分の真実の願いだと言えるのか。道江と恭一との幸福な生活を将来に想像して、自分は今現に心の底からの喜びを感じていると言えるのか。正直のところ、心の底には、喜びどころか、むしろ呪《のろ》いに似た気持ちさえ動いているのではないのか。――
 あらゆる苦悩《くのう》にたえて、そうした呪いに似た気持ちを克服《こくふく》するのだ、と、そう自分に言いきかせて、自分をはげますことに、ある誇《ほこ》りを感じていないのではない。だが、そうした誇りに生きることが、自分にとってはたしてのっぴきならぬ願いなのか。その願いのまえには、どんな他の願いも犠牲《ぎせい》にされていいほど自分にとって高価な願いなのか。もしそれが、それほど高価な、それほどのっぴきならぬ願いなら、兄からのつぎの手紙を期待するような今の気持ちは、いったいどこから湧《わ》いて来るのか。心のどこにそんな余地があり、そんなすき間があるのか。――
 考えてみると、道江の問題について、これまで自分のとって来た態度のすべては、要するにお体裁《ていさい》であり、偽善であり、下劣《げれつ》な自尊心の満足であり、劣等感《れっとうかん》をごまかすための虚勢《きょせい》でしかなかったのだ。何というなさけない自分だろう。
 かれの反省の最後は、いつも、そうしたところに落ちて行くのだった。そして、それから先には一歩も進むことができず、相変わらず恭一から手紙が来ないのが気になり、またそれを反省しては、ますますみじめな気持ちになるばかりだったのである。
 とりわけ、かれが自分をなさけなく思い、ほとんど絶望的な気持ちにさえなったのは、ふと恭一に対してつぎのような疑いを抱《いだ》いたときであった。――兄は、兄自身のためにぼくの気持ちをさぐってみたにすぎないのだ。ぼくの返事を見て、今ごろはおそらくほくそ笑《え》んでいることだろう。――
 もっとも、この疑いはほんの一瞬《いっしゅん》だった。かれはいそいでそれを打ち消したし、疑いそのものが、あとまでながくかれを苦しめたわけではなかった。しかし、かれは、そうしたいやしい疑いがかりそめにもしのびこんで来る余地のある自分の心が、あまりにもなさけなかった。かれは、その時、事務室で、郵便物当番を手伝って、配達された郵便物を各室ごとによりわけていたのだったが、その当番に顔を見られるのが苦しくなり、いきなり自分の室にかけこんだために、かえって当番に目を見張らしたほどであった。
 かれが、このごろ、だれの眼《め》よりもおそれたのは、大河無門の眼だった。かれは、むろん、大河が自分の心の中を見とおしているなどとは考えていなかった。どんなに洞察力《どうさつりょく》のある大河でも、こないだの日曜に恭一と道江とがたずねて来たおり、いっしょに飯を食ったり、わずかの時間話したりしただけで、それができるとは思えなかったのである。しかし、かれが恭一に返事を出したその日に、大河がたまたま浴室で持ち出した恋愛論《れんあいろん》は、期せずしてかれに対する大きな人間的|抗議《こうぎ》となっていた。そして道江に対するかれの恋情が深ければ深いほど、また自分という人間がなさけなく思えて来れば来るほど、この抗議がきびしく胸にこたえ、大河と顔をあわせ
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