んまり先生をたよりすぎて来た。だから、ぼく自身でぼくを始末する力がないんだ。」
 恭一は、複雑な表情をして、しばらくだまりこんでいたが、
「しかし、塾を出て、どこへ行くんだい。」
「それは、これから考えるさ。」
「君に去られたら、先生がお困りじゃないかね。」
「助手には大河君をつかってもらえば、かえっていいと思っているんだ。大河君も、たのめばきっと喜んでやってくれるだろう。」
「ふむ――」
 と、恭一は、もう一度考えこんだが、
「しかし、大事なことだ。もっとおたがいに、考えて見ようじゃないか。いずれ近いうちにまたやって来るよ。できれば、今度は大沢《おおさわ》君をさそって来る。三人でゆっくり話しあってみよう。朝倉先生に話すのはそのあとにしたらどうだい。……また話してはいないんだろう。」
「むろん先生にはまだ話してないさ。こんなことを考えたの、今日がはじめてなんだから。」
「今日がはじめて? なあんだ、そうか。」
 と、恭一は笑いかけたが、その笑いは、急に何かに払《はら》いのけられたように消えた。そしてつぎの瞬間には、かれの聡明《そうめい》そうな眼が、しずかに次郎と道江との間を往復していた。
 道江は、二人の話を心配そうにきいているだけで、ひとことも口をきかなかった。しかし、いよいよわかれる時になると、遠慮《えんりょ》ぶかそうに次郎に言った。
「次郎さんは、今でもやっぱりどこかに一途《いちず》なところがあるのね。どんなわけだか知らないけれど、短気をおこさないでくださいよ。何ていったって、次郎さんは朝倉先生のおそばにいらっしやるのが一ばんいいと、あたし思うわ。」
 次郎は、そっぽを向きながら、悲しいような、腹だたしいような気持ちで、それをきいていた。返事はむろんしなかった。そして、二人にわかれて、自分の室にかえると、机の前にすわりこんで、いつまでも動かなかった。
 塾生たちの大多数は、時間ぎりぎりに帰って来た。早めに帰って来たものは一人もなく、中には夕食に間にあわなかったものも幾人《いくにん》かあったので、ちょっと心配されたが、それでも食卓をかたづけるころまでには、どうなり全部の顔がそろった。
 入浴は、みんなの帰りがおそかったので、夕食後になり、一時に殺到《さっとう》したため、かなりこんだ。しかし、大河のおかげで、予期しなかった入浴ができたのを、みんなは心から喜んだ。かれらにとっては、大河は、最初の朝の板木一件以来、いわば、いい意味での一種の変人であり、何かしら人の意表に出るような親切をやって喜ぶ性質《たち》の人であった。かれらはいつの間にか、大河を「さん」づけで呼ぶようになっていたが、それは、そうした変人に対するかれらの親しみの情をこめた敬称だったのである。
 入浴がすむと、いよいよ待望の「お国|自慢《じまん》の会」がはじまった。
 広間にあつまったみんなの顔は、つやつやと光って晴れやかだった。
「今夜は何だか銀座の匂《にお》いがするようだね。」
 朝倉先生は、座につくと、すぐそんなしゃれを飛ばした。
「銀座の匂いは、もう風呂で流してしまったんです。」
 だれかがすかさず応酬《おうしゅう》した。つづいて、
「おみやげに、すこし残しておくところだったね。」
 そんなふうで、最初から笑いが室内の空気をゆりうごかしていた。
「お国自慢の会」は、一面「郷土を語る会」であり、他面「郷土芸術の発表会」であった。あるものは演説|口調《くちょう》で郷土の偉人《いじん》や、名所|旧蹟《きゅうせき》や、特殊《とくしゅ》の産業などを紹介《しょうかい》し、あるものは郷土の民謡《みんよう》や舞踊《ぶよう》を披露《ひろう》した。かれらは決して各府県青年の代表という資格で集まって来ていたわけではなかったが、たいていは、立ちあがるとすぐ、力《りき》みかえって「ぼくは○○県を代表して」などと、前口上《まえこうじょう》をのべるのであった。かれらを、日本の青年に通有な、そうした無意味な構え心から脱却《だっきゃく》させようとしても、それは、友愛塾の一週間ぐらいの共同生活では、どうにもならないことだったのである。
 注目されていた飯島は、徹頭徹尾《てっとうてつび》演説口調で、村を語り、郡を語り、県を語ったが、話の内容は、とかく政治勢力の問題にふれ、地についたところがほとんどなかった。田川は白鉢巻《しろはちまき》をして勇壮《ゆうそう》活発《かっぱつ》な剣舞《けんぶ》をやった。青山は民謡をうたったが、その声は美しくさびて、おちついていた。大河は、飯島とはちがった意味で、やはり注目されていた一人だったが、自分の順番が来ると、くそまじめな顔をして、のそのそと窓のほうに行き、そこの柱にしがみついた。そして、
「ぼくの村には、夏になると、こんな声を出して鳴く蝉《せみ》が、たくさんいます。――みいん――みいん――みいん――」
 と、蝉の鳴き声をたて、その声にあわせて、ぶるぶるとからだをふるわせた。声だけは、いかにも蝉らしかったが、からだのほうは、まるで小牛が身ぶるいしているような格好《かっこう》だった。みんな腹をかかえて笑った。その笑い声の中を、大河は、相変わらず、くそまじめな顔をして自分の席にもどり、とぼけたようにあたりを見まわした。それでもう一度笑いが爆発した。
 この席には、炊事夫の並木《なみき》夫婦《ふうふ》や、給仕の河瀬も加わっていて、みんなそれぞれに何か一芸をやった。最後に、次郎と朝倉先生夫妻の三人だけが残されていた。
「本田さん、まってました。」
「先生、お願いします。」
「小母《おば》さんも、どうぞ。」
 塾生たちがほうぼうから叫《さけ》び、拍手《はくしゅ》が何度も鳴りひびいた。
 いつもなら、次郎がすぐ立ちあがって何かやるところだったが、今日は変に立ちしぶっていた。すると、朝倉先生が、急にいずまいを正し、謡曲《ようきょく》でもやりだしそうな姿勢になった。みんなは急にしんとなって、片唾《かたず》をのんだ。
「猛虎《もうこ》一声、山月高し――」
 朗々《ろうろう》たる詩吟《しぎん》の声が流れた。ところが、詩吟はそれっきりで、そのあと先生は、ひょいと畳《たたみ》に両手をついて四つんばいになった。そして首を前につき出し、しばらく塾生たちのほうをにらめまわしていたが、いきなり、その咽《のど》から、
「うおーっ」
 と、窓ガラスを振動させるような、すごいうなり声がほとばしり出た。これは先生がいつもやるたった一つのかくし芸だったが、はじめての塾生たちの中には、虚《きょ》をつかれて、思わず首をちぢめたり、「ひやッ」と叫び声をあげたりするものもあった。今夜もそうだった。しかし、あとは笑い声と拍手の音がながいこと室内にうずをまいた。
 笑い声がしすまりかけると、塾生のひとりが言った。
「先生、それは先生の郷土芸術の一つですか。」
「まあ、そんなものだ。」
「何だか、あいまいですね。」
「私は、子供のころ、父が転任ばかりして、ほうぼううろついていたものだから、実は、郷土というほどの郷土を持たないんだ。今のところ、しいて郷土を求めるとすれば、この塾の近所がそうかな。」
「じゃあ、ここいらの民謡でも。」
「そいつは無理だ。ここに落ちついてから、まだながくならんのでね。それに、第一、こんなに東京に近いところでは、民謡なんか、残っているはずがないよ。」
「今度は小母さんの番だ。お願いしまあす。」
 だれかが夫人のほうに鋒先《ほこさき》を向けた。
「あたしも郷土芸術はだめ。」
「何でもいいんです。」
 すると、すみのほうから、
「猫《ねこ》の鳴き声。」
 と、小声で言ったものがあった。笑いがまた爆発した。朝倉夫人も笑いながら、
「猫の鳴き声なんか、陰気《いんき》じゃありません? それよりか、ここには友愛塾|音頭《おんど》というのがありますから、あたしそれをご披露《ひろう》しますわ。」
 一せいに拍手がおこった。夫人は、
「では、本田さん。」
 と、次郎に目くばせした。次郎は自分のそばにおいていたガリ版刷りを塾生たちに渡《わた》した。それには音頭の歌詞《かし》が印刷してあったのである。
 ガリ版刷りがみんなにゆきわたったころには、次郎は、もう、室の隅《すみ》に据《す》えてあったオルガンの前に腰《こし》をおろしており、先生夫妻と、炊事《すいじ》の並木夫妻と、給仕の河瀬の五人が、室の中央に輪を作って立っていた。
 やがて、オルガンにあわせて、五人は歌をうたいながら、踊《おど》りだした。手ぶりや、足のふみ方や、ぐるぐるまわって行進したり、あともどりしたりするところなど、すべては盆踊《ぼんおど》りそっくりだった。歌の文句は朝倉先生と次郎の合作《がっさく》で、つぎの四節から成っていた。

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板木《ばんぎ》鳴る、鳴る。浄《きよ》めの朝だ。
こころしずめて打つかしわ手は、
わかい日本の脈音だ。
くぬぎ、赤松《あかまつ》、ほのぼの白みゃ、
さあさ、世界のあけぼのだ。

板木鳴る、鳴る。張りきる胸だ。
咲《さ》いたつつじが照る日に燃えりゃ、
わかい日本の血の色だ。
真理《まこと》もとめて走ろか、友よ。
さあさ、世界の駈《か》けくらだ。

板木鳴る、鳴る。そら飯時《めしどき》だ。
色は黒ろても、半つき米は、
わかい日本の持ち味だ。
腹ができたら、ひと汗《あせ》かこか。
さあさ、世界の地固めだ。

板木鳴る、鳴る。日暮《ひぐ》れの杜《もり》だ。
一風呂《ひとふろ》あびて円坐《えんざ》を作りゃ、
わかい日本のいしずえだ。
語れまごころ、歌えよのぞみ。
さあさ、世界の平和《やわらぎ》だ。
[#ここで字下げ終わり]

 五人の中で、朝倉先生の踊りが目だってぎごちなかった。しばしば手のふり方や、足のふみ方をまちがえて、前後の人を面くらわせ、時には鉢合《はちあ》わせしそうになることもあった。そのたびに、塾生たちは手をたたき、腹をかかえて笑った。
 朝倉夫人は、手振《てぶ》りのあい間あい間に、おりおり塾生たちを手まねきしては、踊りの輪に加わらせようとした。はじめのうちは、みんな尻《しり》ごみして、笑ってばかりいたが、踊りに自信のできたらしい塾生が、二三名、思いきって飛びこむと、あとは、つぎつぎにその数がふえて行った。
 踊りはいつまでもつづき、時がたつにつれてその輪が大きくなり、あとでは、輪を二重にしなければ、室が狭《せま》すぎるほどになった。そして、そのころになると、まだ輪に加わらないでいる塾生は、ほんの四五名にすぎす、その四五名も、そうなると、すわっているのがかえってきまりわるくなったらしく、とうとう頭をかきかき、一人のこらずたちあがった。その四五名の中には田川や飯島がいた。大河や青山は、もうとうに踊りはじめていたのだった。
 踊りの輪が大きくなり、二重になるにつれて、全体としては、しだいに熟練の度をまして行った。しかし、朝倉先生のように、いつまでたってもじょうずにならないものもあり、また新加入者があるごとに、かならず二度や三度は何かのへまをやったので、爆笑の種は容易につきなかった。
 最も多く爆笑の種をまいたのは大河無門だった。かれの不器用《ぶきよう》さは朝倉先生どころではなく、その手振りはまるで拳闘《けんとう》でもやっているような格好であり、その足の運びには、四股《しこ》をふむ時のような力がこもっていた。しかも、かれ自身は、どんなへまをやっても微笑一つもらさず、いつも真剣《しんけん》そのものといった顔つきをしていたのである。
 次郎は、その晩は、最後まで、心から愉快《ゆかい》にはなれなかった。みんなが愉快になればなるほど、変にいらだつような気持ちになり、オルガンをひきながら、大河無門の不器用な踊りを見ていても、たださびしく笑うだけだった。そして、その晩の集まりが友愛塾音頭を打ちどめにして終わったあと、自室に引きとってからも、ともすると、大河の踊っている時の顔が眼に浮かんで来た。それは、かれの今朝からのにがい思い出を茶化しているような顔にも思え、また真剣に憂《うれ》えているような顔にも思
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