し、すいぶんむずかしい生活ですね。」
 どちらかというと、青白い顔の、知性的な眼をした、しかし十分労働できたえたらしい、がっちりした体格の持ち主だった。
「第三室の青山敬太郎君です。」
 次郎が朝倉先生に小声で言った。
 青山の推薦者《すいせんしゃ》から塾堂に来た手紙によると、かれは二十三歳の若さで、弘前《ひろさき》の郊外に、相当大きなりんご園を経営しており、しかも、そのりんご園の中に、私財を投じて、付近の青年たちのために小さな集会所を建て、毎晩のように、自分もいっしょになって読書会や農業研究会などをやっている、とのことであった。そのせいで、大河無門とともに最初から次郎の注目をひいていた一人だったのである。
 朝倉先生は、青山の青年集会所のことが簡単に名簿の備考欄に書きこまれてあるのに目をとおしながら、何度もうなずいていたが、
「むずかしいっていうと?」
「強制されないでうまくやっていくほど、むずかしいことはないと思うんです。」
「しかし、強制されないとやれないほど、むずかしいことをやろうというんではないよ。」
「ええ、それはわかっています。」
「常識をはたらかせさえすれば、だれにもできる生活をやろうというんだから、こんなやさしいことはない、とも言えると思うがね。」
「しかし、常識をはたらかせると言っても、ふまじめではこまるんでしょう。」
「そりゃあむろんさ。まごころのこもった常識でなくちゃあ――」
「そのまごころのこもった常識というのが容易ではないとぼくは思うんです。常識的な、平凡《へいぼん》なことをやる時ほど、人間はふまじめになりがちなものですから。」
「うむ。」
 と、朝倉先生は大きくうなずいて、
「たしかに、君の言うとおりだ。その点では、ここの生活は非常にむずかしい。これまで、鍛練というと、とかく常識はずれのことばかりが考えられて、まともな日常生活に必要な常識を、まごころをこめてはたらかすための鍛練ということは、ほとんど忘れられていたようだが、実は、一ばんたいせつで、しかも一ばんむずかしいのは、そうした鍛練なんだ。そのたいせつでむずかしい鍛練を、これから君らおたがいの間でやってもらおうというのが、ここの生活の目的なんだから、そういう意味で、君がここの生活をむずかしいと言ったのは、ほんとうだ。しかし、そこに気がついて、そのつもりで努力する気になってさえもらえば、もうほかにむずかしいことはないだろう。特別にすぐれた能力がなくても、常識のある人間なら、だれにだってできる生活なんだからね。ここの生活を甘《あま》く見てもらっても困るが、おびえる必要もないよ。」
 塾生たちの表情は、さまざまだった。次郎は、その一人一人の顔を注意ぶかく観察していたが、先生の言ったことを十分理解したのは、青山のほかには大河無門だけではないかという気がした。
 朝倉先生は、そこでちょっと腕時計《うでどけい》をのぞいたが、
「話がついいろんなことにとんだが、しかし、むだではなかったようだね。ところで、かんじんの明日からの行事計画に、まだちっとも目鼻がついていないが、どうだね、ここいらで話を具体的なことにもどしては? もし君らのほうに特別な案がなければ、私のほうから話のきっかけを作る意味で、それを出してみてもいいが。」
「どうかお願いします。」
 飯島がまっさきにこたえた。つづいて同じような答えがほうぼうからきこえた。飯島はそれにつけ足すように言った。
「はじめからそうしていただくと、むだな時間がはぶけてよかったんですがね。」
 朝倉先生は、あっけにとられたように飯島の顔を見た。それから、ちょっと皮肉らしい苦笑《くしょう》をうかべながら、
「なるほどね。しかし、君らにうのみ[#「うのみ」に傍点]にされて、あとで腹いたでも起こされては困ると思ったものだからね。」
 塾生たちの中に笑ったものがあった。しかし、それはほんの二三人にすぎなかった。大多数は先生の言った皮肉の意味が、まだ、まるでわかっていないかのような、まじめくさった顔をしていた。飯島もやはりその一人だった。
 朝倉先生は、ちょっとため息をついたあと、
「では、まず起床と就寝の時刻からきめていこう。これは、まさか、午前三時に起きて午後十一時にねる、というわけにはいくまいね。それとも、鍛練のつもりで、やってみるかね。」
「わあっ!」
 塾生たちは、一せいにどよめいて、頭に手をやった。田川も、さすがに苦笑しながら、頭をかいている。
「みんな不賛成らしいね。すると、何時が適当かな。」
「先生の原案はどうなんです。」
 飯島がまた原案を催促《さいそく》した。
「これぐらいは、私から原案を出さなくても、何とかまとまりそうなものだね。」
「しかし、みんなで相談していたら、起床はなるだけおそいほうがいいということになりゃあしませんか。」
「あるいは、そういうことになるかもしれないね。極端《きょくたん》にいうと、十時起床ということになるかもしれない。」
「かりにそうなるとしたら、それでもいいんですか。」
「君自身はどう思う? 私の意見より、まず君自身の意見からききたいね。」
「ぼくは、むろん、いけないと思います。」
「君のまじめな常識がそれを許さないだろう。」
「そうです。」
「そうだとすると、みんながまごころをこめて常識をはたらかしさえすれば、落ちつくべきところに落ちつくんではないかね。」
「そうなればいいんですが、実際は、やはり、なるだけおそくということになりそうに思うんです。」
「その実際を、おたがいに鍛《きた》えあうのが、ここの生活だろう?」
「はあ。しかし、それには、先生のほうからもいくらかの強制を加えていただかないと――」
「やはり強制が必要だというのかね。それじゃあ話はまた逆もどりだ。」
 朝倉先生は、手にもっていた塾生名簿を畳《たたみ》のうえになげだして、腕をくんだ。そして、かなりながいこと、眼をつぶってだまりこんでいたが、やがて眼をひらくと、ちょっと飯島のほうを見たあと、みんなの顔を見まわして言った。
「強制されると、どんな不合理なことにでも盲従《もうじゅう》する。おたがいの相談に任されると、なまけられるだけなまける工夫をする。もしそういうことが人間にとってあたりまえのことだとして許されるとすると、いったい人間の自主性とか良心とかいうものは、どういう意味をもつことになるんだ。いや、いつになったら、人間はおたがいに信頼《しんらい》のできる共同生活を営《いとな》むことができるようになるんだ。」
 先生の言葉の調子は、はげしいというよりは、むしろ悲痛だった。
「私は、君らを、良心をもった自主的な人間としてここに迎《むか》えた。だから、かりに君ら自身が、君らを機械のように取りあつかってくれとか、犬猫《いぬねこ》のようにならしてくれとか、私に要求したとしても、私には絶対にそれができない。私は、あくまで、君らが人間であることを信じ、君らに人間としての行動を期待するよりほかはないのだ。むろん私も、人間の世の中に、強制の必要が全然ないとは思っていない。弱い人間にとっては、やはりそれが必要なこともあるだろう。時には、それが弱い人間を救う唯一《ゆいいつ》の方法である場合さえあるのだ。それは私にもよくわかっている。しかし、私は、君らがこの塾堂の生活にもたえないほど弱い人間であるとは思っていないし、また思いたくもない。だから、私は、君らが何かの強制力にたよるまえに、まず君ら自身の良心にたより、人間として、君らの最善をつくしてもらいたいと思っているんだ。君らが、ほんとうにその気になりさえすれば、少なくとも、この塾堂の生活ぐらいは、何の強制もなしに運営していけるだろうと、私は信じている。君ら自身も、人間であるからには、そのぐらいの自信は持っていてもいいだろう。いや、持っていなければならないはずなのだ。もし君らに、それだけの自信、――人間としてのそれだけの誇《ほこ》りも持てないとすると、私としては、もう何も言うことはない。明日からの行事計画をたてることも、まったく必要のないことだ。……どうだ、飯島君、やはり強制がなくてはだめかね。」
「わかりました。」
 飯島は、いくぶんあわて気味にこたえた。それだけに、いかにも無造作《むぞうさ》な、たよりない答えだった。
「田川君は、どうだね。」
 田川は、それまで、眉根《まゆね》をよせ、小首をかしげて、いやに深刻そうに畳《たたみ》の一点を見つめていたが、だしぬけに自分の名をよばれて、飯島とはちがった意味で、あわてたらしかった。しかし、かれはすぐにはこたえなかった。こたえるかわりに、何度も小首を左右にかしげ直し、するどい眼で畳をにらみまわした。それから、朝倉先生のほうをまともに見て、そのしゃがれた声をとぎらしがちにこたえた。
「ぼく……もっと……考えてみます。」
「もっと考える? ふむ。腑《ふ》に落ちなければ、腑に落ちるまで考えるよりないだろう。自分で考えないで、人の言うことをうのみにする生活なんて、まるで意味がないからね。」
 朝倉先生は、そう言って微笑した。そして、それ以上口で説きふせることを断念した。いずれはこれからの生活体験が、徐々《じょじょ》にかれらを納得させるだろう、というのが先生のいつもの信念だったのである。
「田川君のほかにも、まだよく納得がいかないでいる人がたくさんあるだろうと思うが、そうした根本問題については、これから何度でもむしかえして話しあう機会があるだろう。そこで、それはいちおう未解決のままにして、ともかくも具体的な問題にはいることにしょう。じゃあ、時間もおそくなったし、私のほうから案を出すことにするよ。」
 先生は、そう言って、次郎に目くばせした。次郎は待ちかまえていたように、自分のそばに置いていた紙袋《かみぶくろ》から、ガリ版の印刷物をとり出して、みんなに配布した。
 それには、組織や、講義科目や、諸行事の時間割など、必要な諸計画が一通りならべられていたが、そのどの部分を見ても常識からとびはなれたようなことは一つもなかった。塾堂と名のつくところでは、そのころほとんどつきもののようになっていた「みそぎ」とか、「沈黙《ちんもく》の労働」とか、およそそういった、いわゆる「鍛練《たんれん》」的な行事が全く見当たらないのは、むしろみんなには、ふしぎに思われたくらいであった。五時半起床というのが、二月の武蔵野《むさしの》では、ちょっとつらそうにも思えたが、それも青年たちにとっては、決しておどろくほどのことではなかった。むしろかれらをおどろかしたのは、生活にうるおいを与《あた》えるような行事が、かなりの程度に、織《お》りこまれていることであった。とにかく、見る人が見れば、日常生活を深め高める目的で、すべてが計画されているということが明らかであった。
 相談は安易《あんい》にすぎるほど、すらすらとはこび、ほとんど無修正だった。特異《とくい》な行事を期待していた塾生たちにとっては、多少物足りなく感じられたらしかったが、そのために、これという強硬《きょうこう》な主張も出なかった。最も多く発言したのは飯島だった。しかし、それも、自分の存在を印象づける目的以上の発言ではなく、たいていは原案賛成の意見をのべ、同時に進行係をつとめるといったふうであった。田川は、はじめから終わりまで、一言も口をきかなかった。
 ただ、組織に関することで、室編成のほかに、生活内容の面から、いろいろの部が設けてあり、全員が期間中に、一度はどの部の仕事も体験するという仕組みになっていたので、その運営の方法や、人員の割り当てなどについて、いろいろの質問が出、その説明に大部分の時間がついやされたのであった。
 就寝《しゅうしん》は九時半、消燈《しょうとう》十時ときまったが、懇談会を終わったときには、すでに九時半をすぎていた。
 解散するまえに、朝倉先生が言った。
「これで、ともかくも、ここの生活設計がおたがいのものとしてできあがった。おたがいのものとしてできあがった以上、それがうまくいかなければ、おた
前へ 次へ
全44ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング