なるかもしれん。しかし、さっきの話のようだと、少くとも現在のところは、それをきめておいたほうがいいらしいね。で、どうだ、さっそく今夜のうちにそれをきめることにしては?」
むろん、どこからも反対意見は出なかった。朝倉先生は、しばらくみんなの顔を見まわしていたが、
「では、懇談会が終わったら、すぐ各室で相談してきめてくれたまえ。それがまとまらないなんて言ったら、今度は、君らの恥《はじ》だよ。君ら自身でそうすることにきめたんだから。」
みんなが笑った。その笑いの中から、
「投票で選挙するんですか。」
「そんなことは、私にきいたってわからない。君らの室長を君らできめるんだから。」
朝倉先生は、くそまじめな顔をしてこたえた。それから、
「これで、生活設計の大事な一つである組織が、どうなりきまったわけだ。各室が室長を中心に小さな共同社会を作る。それが集まって、塾全体の共同社会ができる。その中心は塾長である私。それでいいね。」
みんなは、また笑いだした。なあんだ、そんなことが生活設計か、という意味の笑いらしかった。すると朝倉先生は、それをとがめるように、きっとなって言った。
「君らは、そんなことはあたりまえだ、今さら生活設計だの何だのと言ってさわぐことはない、と考えているかもしれない。しかし、これは大事なことだ。だれかにきめてもらった組織と、自分たちでその必要を感じて作った組織とは、全然意味がちがうからね。君らは、君ら自身の幾時間《いくじかん》かの体験によって、室長の必要を感じ、その制度を作り、その人選をすることになった。そうしてできあがった室長は、よかれあしかれ、君ら自身のものだ。したがって室長の言動に対しては君ら自身が責任を負わなければならない。そういったぐあいに、すべてを自分のものにしていくところに、おたがいの生活設計の意義があるんだ。何も世間をあっと言わせるような、珍《めずら》しい生活形式を強《し》いて作りだそうというのではない。形式は、むしろ平凡《へいぼん》なほうがいい。その平凡な形式を、ほんとうに自分のものにして、内容を深めていこうというのが、ここの生活のねらいなんだ。どうか、そのつもりで、奇抜《きばつ》な案でなければいけないだろう、などという考えにとらわれないで、実際君らが、君ら自身の生活に必要だと思っていることを、正直に提案《ていあん》してもらいたいと、私は思っている。そこで、――」
と、先生は、次第にやわらいだ顔になり、
「組織については、むろんまだほかにいろいろ工夫しなければならないことがあるだろう。しかし、さしあたっては、室長と塾長とがあれば、どうにかやっていける。ところで、さっそく困るのは、明日からの行事だ。何時に起きて何時にねて、その間に何をするのか、とりあえず明日一日のことだけでもきめておかないと、まったく動きがとれない。それについて、君らに何か考えはないかね。」
「先生!」
と、かなり激昂《げきこう》したような声が、みんなの耳をいきなり刺激《しげき》した。それは次郎の耳にはききおぼえのある、しゃがれた声だった。
「そんなことまで、みんなで相談してきめるんですか。」
みんなの視線が一せいにそのほうにあつまった。頬骨《ほおぼね》の高い、眉《まゆ》の濃《こ》い、いくらか南洋の血がまじっていそうな顔だちの、二十四五|歳《さい》の青年が、膝《ひざ》に両腕《りょううで》を突《つ》っぱり、気味のわるいほど眼をすえて、朝倉先生を見つめている。
「むろんそうだよ。みんなの生活は、みんなで相談してきめるよりしかたがないだろう。」
朝倉先生はしずかにこたえた。
「しかたがあると思うんです。」
「どういう方法があるかね。」
「ここは塾堂でしょう。そして先生はその塾長でしょう。」
「そうだ。それで?」
「先生には、何もご方針はないのですか。」
「方針はあるとも。それは、今朝ほどから、くりかえし話したとおりだ。」
青年は、つぎの言葉にちょっとまごついたようだったが、
「ああいうことがご方針なら、それはわかりました。しかし、毎日の行事まで、ぼくたちに相談してきめるなんて、あんまり無責任じゃありませんか。」
「無責任? これはきびしいね。」
朝倉先生は、そう言って苦笑したが、
「そりゃあ、私のほうでも、一通りの案は作ってあるよ。君らの相談が行きづまったり、あんまり無茶《むちゃ》だったりする時の参考にするつもりでね。だから、君が思っているほど無責任ではないつもりだ。」
「案があったら、そのとおりに実行してください。ぼくたちは、うんと鍛《きた》えていただくつもりで、わざわざ田舎《いなか》から出て来たんですから、先生の案がどんなにきびしくても、決して驚《おどろ》かないつもりです。」
「いい覚悟《かくご》だ。」
と、朝倉先生は相手の顔から眼をはなして、塾生名簿を見ながら、
「君は何室だったかね。」
「第一室です。」
「名前は?」
「田川大作。」
田川の返事は、しだいにぶっきらぼうになっていった。
名簿には、「熊本県、二十六歳、村農会書記、村青年団長、農学校卒」とあり、備考欄に、「歩兵|伍長《ごちょう》、最近満州より帰還《きかん》」とあった。塾生たちも、しきりに名簿と本人の顔とを見くらべた。本人は、しかし、それでてれた様子はすこしもなく、相変わらず力《りき》みかえって、朝倉先生の顔を見すえていた。
朝倉先生は、名簿から眼をはなして、田川と視線をあわせながら、
「君の覚悟は、なるほどいい覚悟だが、しかし、そういう覚悟は、何かとくべつの場合の覚悟で、日常の生活を建設するための覚悟ではないようだね。第一、自分というものをあまりに軽んじすぎている。というよりは、自分の力を惜《お》しみすぎている、と言ったほうが適当かもしれないがね。」
「それはどうしてです? ぼくは――」
と、田川は、ふるえる唇《くちびる》をつよくかんだあと、
「ぼくは軍隊生活をやって来た人間ですが、自分の力を出しおしみしたことなんか、一度だってなかったんです。これからもないつもりです。ぼくは、今日、平木中佐|殿《どの》が言われたように、なにごとにでも死ぬ覚悟でぶっつかるつもりでいるんです。なまぬるいことは、ぼく、大きらいです。」
「よろしい。私は、だから、それはそれとしていい覚悟だと言っているんだ。しかし、君はだれかに鍛えてもらうことばかり考えて、自分で自分を鍛える努力を惜しんでいるんではないかね。」
「そんなことはありません。ぼくは、自分を鍛えたいと思ったからこそ、自分で希望して、わざわざ遠い田舎からこんなところにも出て来たんです。」
「しかし、自分の生活のことを自分で考えてみようともしないで、人に計画してもらおうとしているんだろう。それで自分の力を惜しんでいないといえるかね。」
田川は返事に窮《きゅう》したらしく、黙《だま》りこんだ。しかし、心で納得《なっとく》したようには、すこしも見えなかった。かれは、それまで膝の上に突っぱっていた両腕を組んで、天井《てんじょう》を仰《あお》いだ。
朝倉先生は、注意ぶかくその様子を見まもっていたが、
「田川君――」
と、ものやわらかな、しかし、どこかに重みのある声で呼びかけた。
「君の気持ちは、私にはわからんことはない。大いに鍛練《たんれん》されるつもりで、はるばるやって来て、ちっとも鍛練してもらえないとなったら、そりゃあ腹もたつだろう、無理はないよ。しかし、君がのぞんでいるような鍛練なら、君はもう軍隊生活で、十分うけて来たんではないかね。」
天井をにらんでいた田川の眼が、やっと朝倉先生のほうにもどって来た。しかし返事はしない。朝倉先生は、すこし考えてから、
「どうも、君と私とでは、鍛練という言葉の意味が、まるでちがっているようで、そこいらに君の不平の原因もあるようだが、自分たちの生活を自分たちで築きあげる能力を養うことも、一つの鍛練だと考えて、ここでは一つ、そういった意味での鍛練に精進《しょうじん》してみる気にはなれないかね。」
田川の顔には、冷笑に似たものが浮《う》かんだだけだった。
「やはり納得が行かないようだね。」
と、朝倉先生はちょっと眼をふせたが、すぐ何か決心したように、
「じゃあ、君にたずねるが、君は、私のほうできめたことなら、それにどんな無理があっても、無条件に従う気なんだね。」
「そうです。それがぼくたちの鍛練のためでさえあれば、喜んで従います。」
「もし、私が、明日からの起床《きしょう》は午前三時、就寝《しゅうしん》は午後十一時ときめたとしたら?」
田川は、かなりめんくらったらしく、眼玉《めだま》をきょろつかせたが、すぐ決然として、
「むろん、その通りにします。」
「よく考えてから、答えてくれたまえ。睡眠《すいみん》時間はわずかに、四時間だよ。」
「いいんです。覚悟をきめたら、がまんできないことはありません。ナポレオンは四時間しかねなかったんです。」
「なるほど。ナポレオンはそうだったそうだね。」
と、朝倉先生は微笑しながら、
「しかし、一日や二日はがまんできるだろうが、一か月半もの期間、はたしてできるかね。」
「できます。」
「君はできても、ほかの諸君はどうだろう。」
「そうきまったら、その覚悟をするほかありません。それが共同生活です。」
「ふむ、なるほどそれが共同生活か。しかし、そう無理をしては、病人が出るかもしれないね。」
「そんなことで病気になるのは覚悟が足りないからです。」
「かりに君らの覚悟次第で病人は出ないとしても、飯島君がさっき言った実質的なことがお留守《るす》になる心配はないかね。」
「それも覚悟次第です。」
田川は、追いつめられて、何もかも「覚悟」でかたづけたが、もうすっかりやけ気味らしかった。朝倉先生は、それ以上、深追《ふかお》いすることを思いとまって、しばらくじっと田川の顔を見つめていたが、
「君、片意地《かたいじ》になっては、いけないよ。それじゃあ、ちっとも君自身の心の鍛練にはならない。とかく世間では、意地をはって心にもないやせがまんをするのを、鍛練だと思いがちだが、それは鍛練の本筋《ほんすじ》ではない。鍛練の本筋は、すなおな気持ちになって、道理に従っていく努力を積むことなんだよ。君にはその大事な本筋が、まだわかっていないんじゃないかね。……いや、君だけじゃない。私の見るところでは、今の日本人の大多数に、それがわかっていないらしい。そのために、日本は今、国全体として変に力《りき》みかえり、意地をはって、非常な無理をやっている。国の内でも外でも、意地をはり、無理をやることが、日本の生きて行くただ一つの道ででもあるかのような考え方で、すべてのことが運ばれているんだ。だから、自然、君らも、鍛練といえば、すぐ、意地をはったり無理をやったりすることだ、というふうに考えたがるのかもしれないが、しかし、そうした傾向《けいこう》は、日本にとって決して喜ぶべき傾向ではないよ。私は、そうした傾向から、おそろしい結果が近い将来に生じて来やしないかと、それをいつも心配しているぐらいなんだ。私が、こうして、及《およ》ばずながら、この塾の責任をひきうけているのも、せめては、ここに集まって来る青年諸君だけにでも、すなおな、道理にかなった共同生活の建設に努力してもらって、その体験をとおして、いくらかでもそうした危険な傾向を阻止《そし》してもらいたいためなんだ。わかってもらえるかね。」
朝倉先生は、しだいに、しみじみとした調子になっていった。田川も、さすがに、それでいくらか心を動かされたらしく、もう、あからさまな反抗的《はんこうてき》態度は示していなかった。しかし、何かまだ腑《ふ》におちないところがあるのか、ちょっと首をふっただけで、やはり返事はしなかった。
すると、それまで、窓の近くにいて、腕をくみ、眼をつぶり、何か深く考えこんでいるらしく見えていた一人の青年が、急に眼を見ひらいて、言った。
「ぼくは、先生のおっしゃることが、やっと、どうなりわかったような気がします。しか
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