と、すぐ顔をひっこめた。
次郎は返事をするひまがなかった。というよりも、変にあわてていた。かれはいきなり立ちあがって、部屋の片隅《かたすみ》につみ重ねてあった細長い食卓《しょくたく》の一つを、陽あたりのいい窓ぎわにおくと、走るようにして空林庵《くうりんあん》に朝倉先生をむかえに行った。
二人が広間にはいって来た時には、朝倉夫人は、もう食卓のそばにすわっていた。
「今日はどんぶりのご飯でがまんしていただきますわ。でも、中身はいつもよりごちそうのつもりですの。」
「そうか。」
と、朝倉先生は、どんぶりのふたをとりながら、
「よう、鰻《うなぎ》どんぶりじゃないか。えらく奮発《ふんぱつ》したね。」
「三人だけでご飯をいただくの、当分はこれでおしまいでしょう。ですから――」
「なあんだ、そんな意味か。そうだとすると、せっかくのごちそうだが、少々気がつまるね。」
「どうしてですの。」
「女にとっては、やはり小さな家庭の空気だけが、ほんとうの魅力《みりょく》らしい。そうではないかな。」
「あら、あたし、つい女の地金《じがね》を出してしまいましたかしら。自分では、もうそれほどではないと思っていま
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