て出た。朝倉夫人と次郎とは、眼を見あいながら、そのあとにつづいた。
荒田老は、それから、玄関口まで一言も口をきかなかったが、自動車に乗るまえに、だしぬけにうしろをふりかえって言った。
「塾長さん、あんたは毎日、新聞は見ておられるかな。」
「はあ、見ております。」
「時勢はどんどん変わっておりますぞ。」
「はあ。」
「自由主義では、日本はどうにもなりませんな。」
「はあ。」
「どうか、命令|一下《いっか》、いつでも死ねるような青年を育ててもらいたいものですな。」
「はあ。」
自動車が出ると、朝倉先生は夫人と次郎とをかえりみ、黙《だま》って微笑した。
次郎は、それ以来、荒田老の顔を見ていない。このまえの閉塾式には、案内を出したにもかかわらず、顔を見せなかったのである。田沼理事長に対して、老がその後どんなことをいい、どんな態度に出ているか、それは朝倉先生にはきっとわかっているはずだが、先生は、次郎にはもとより、夫人に対しても、そのことについて何も語ろうとはしない。ただときどき、何かにつけて、
「われわれの仕事も、これからがいよいよむずかしくなって来る。しかし、そうだからこそ、こうした性
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