なく、その第十回目の生活にはいろうとしているのである。その間に、かれはその心境においても、助手としての指導技術においても、また読書力においても、めざましい進歩のあとを示して来た。なお、かれについて特記すべきことのひとつは、かれが学校時代に大して熱意を示さなかった運動競技とか、音楽とか、娯楽遊戯《ごらくゆうぎ》とかいったことにも研究の手をのばし、今では技術的にも一通りの心得があり、それが塾生活の運営にかなりの役割を果たすようになって来たことである。
 朝倉先生夫妻が、その真剣《しんけん》な反省と創意工夫とによって、一回ごとに向上のあとを示したことは、いうまでもない。二人には、一般《いっぱん》の塾生活指導者にありがちな自己|陶酔《とうすい》ということが微塵もなかった。次郎の眼にはすばらしい成功だと映ることも、二人にとっては常に反省の資料であり、検討の余地を残すことばかりであった。「肝胆《かんたん》を砕《くだ》く」という言葉は、古人がこの二人のために残した言葉ではないかとさえ思われるほど、生活のあらゆる面について研究をかさね、工夫《くふう》を積んだ。それは、はた目には苦悩《くのう》の連続とも
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