の生徒たちにくらべて、常識の点でも、理解力や判断力の点でも、はるかにすぐれていると思われる青年が大多数だった。
 次郎はそうした青年たちに接しているうちに、自分のこれまでの学生生活が、ほんとうの生活から浮きあがったもののように思われて恥《は》ずかしい気がした。朝倉先生は、かつて白鳥会の集まりで、学生が勤労青年を友人に持つことの必要を説いたことがあったが、その意味が今になってやっとわかるような気がするのだった。かれは次第に塾生たちに愛情と尊敬とを感じはじめていた。中学の卒業試験はもう間近にせまっていたが、かれの関心はそのほうの勉強よりも、少しでも多くの時間を彼等といっしょにすごすことに払《はら》われていたのである。
 しかし、かれにとっての最大の喜びは、何といっでも、田沼先生――開塾以来、田沼さんは自然みんなに先生と呼はれるようになっていた――にたびたび接して、直接言葉をかけてもらうようになったことであった。
 田沼先生は、塾財団の理事長という資格で、開塾式にのぞみ、一場のあいさつを述べたのであるが、次郎は、仏像の眼を思わせるようなその慈眼《じがん》と、清潔であたたかい血の色を浮かしたそ
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