ものなのだから、どんな事情のもとでも、ああした打ちかたは、二度とくりかえされてはならないことなのだ。もし今朝の板木当番が、ついに業《ごう》をにやしてあんな打ちかたをしたとすると、私はその人のために、まことに残念なことだと思っている。しかし、いっそうわるいのは、ああした打ちかたを余儀《よぎ》なくさせた君らの態度だ。君らさえもう少し良心的であってくれたら、板木を打った人も、ああしたあやまちを犯《おか》さないですんだのだろうと思うと、それが私はくやしくてならない。……だが、それはまあいい、それは百歩をゆずってあきらめるとしても、ここにどうしても私にあきらめのつかないことが一つある。それは、愛情で打たれた板木の音では寝床をはなれようとしなかった君らが、怒りで打たれた板木の音では、わけなくはね起きたということだ。その点で、君らは精神的にはまだ奴隷《どれい》の域を一歩も脱《だっ》していないということを証明している。いや、それどころか、君らはよりいっそうみじめな奴隷になることを希望しているとさえ私には思える。これはほんとうになさけないことだ。私は、むろん、こう言ったからといって、怒りに対しては怒りを
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