が、そとの空気が、針先《はりさき》をそろえたように、顔いっぱいにつきささった。
 かれは、そのつめたい空気の針をなぎ払《はら》うように、ばたばたと部屋中にはたきをかけはじめた。
 開塾《かいじゅく》中は、次郎は、朝倉先生夫妻だけを空林庵《くうりんあん》に残して、本館の事務室につづく畳敷《たたみじ》きの小さな部屋に、ひとりで寝起きすることにしているのである。
 次郎がはたきをかけおわり、箒《ほうき》をにぎるころになっても、ほかの部屋は、まだどこもひっそりと静まりかえっていて、板木の音だけが、いつまでも鳴りつづけていた。
 かれは、むろん、そのことに気がついていた。しかし、べつに気をくさらしてはいなかった。毎回開塾の当初はそうだったし、時刻どおりに板木が鳴ることさえ珍《めずら》しかったので、今朝の板木当番の正確さだけでも上できだぐらいに思っていたのである。
 かれは、掃除《そうじ》をしながら、根気よく鳴りつづけている板木の音に、ふと好奇心《こうきしん》をそそられた。それは、鳴りはじめた時刻がきわめて正確だったからばかりでなく、その音の調子に何かしら落ちつきがあり、しかも、いつまでたってもそ
前へ 次へ
全436ページ中163ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング