無力にする工夫をこらすほかに道はない。むろんそれは、厄介《やっかい》なことではあるさ。しかし厄介なだけに、うまくその始末がつけば、それだけ塾の抵抗力《ていこうりょく》をまし、かえって健康が増進されるとも言えるんだ。とにかく何事も事上|錬磨《れんま》だよ。その意味で、私は、今日はいい機会にめぐまれたとさえ思っている。こんなことを言うと、君はそれを私の負け惜《お》しみだと思うかもしれんが、しかし、避《さ》けがたいものは避けがたいものとして、平気でそれを受け取って、その上でそれに対処《たいしょ》するのが、ほんとうの自由だよ。それがほんとうに生きる道でもあるんだ。随所《ずいしょ》に主となる。そんな言葉があったね。じたばたしてもはじまらん。わかるかね、私のいっていることが?」
「わかります。」
 次郎はかなり間をおいて答えた。かれは、しかし、まだ先生の気持ちを正しく理解していたわけではなかった。事上錬磨という言葉を通じて、権力に対する反抗の機会を暗示《あんじ》されたかのような気持ちでいたのである。
 朝倉先生は、次郎の心の動きを見とおすように、その澄んだ眼をかれの顔にすえていたが、急に笑顔になって、
「そこで、変なことをきくようだが、君は今日、軍からの来賓に対して、どんな態度で接するつもりかね。」
 これは、次郎にとって、なるほど変な質問にちがいなかった。かれは、これまで、来賓に対する態度のことまで先生に注意をうけたことがなかったのである。かれはいかにも心外《しんがい》だという顔をして、
「ぼく、べつに何も考えていないんです。あたりまえにしていれば、いいんでしょう。」
「あたりまえ? うむ。あたりまえであれば、むろんそれでいいさ。そのあたりまえが、友愛塾の精神にてらしてあたりまえであればね。」
 次郎は虚《きょ》をつかれた形だった。朝倉先生はたたみかけてたずねた。
「まさか、君は、あたらずさわらずの形式的な丁寧《ていねい》さを、あたりまえだと考えているんではないだろうね。」
 次郎は眼をふせた。しばらく沈黙がつづいたあと、朝倉先生は、しんみりした調子で、
「今さら、君にこんなことを言う必要もないと思うが、友愛塾は、どんな相手に対しても冷淡《れいたん》であってはならないんだ。あたたかな空気、それが塾の生命だからね。お互《たが》いは、それで世に勝とうとしている。勝てるか勝てないかは、むろん予測《よそく》できない。しかし、それで勝とうとする意志だけは失ってはならないんだ。やはり事上錬磨だよ。今日のような場合に、それを忘れるようでは、何のための友愛塾だか、わからなくなる。」
 次郎の耳には、事上錬磨という言葉が異様にひびいた。前の場合には、権力に対する反抗の機会を暗示されたように受け取っていたが、今度の場合は、明らかにその反対のことを意味していたからであった。かれは、しかし、もう何も言うことができなかった。頭も気持ちも、めちゃくちゃに混乱していたのである。
「よくわかりました。気をつけます。」
 かれは、表面|素直《すなお》にそう言って塾長室を出た。そして講堂に行き、今日の式次第《しきしだい》をチョークで黒板に書いたが、いつもは何の気なしに書く「来賓祝辞」の四字が、呪文《じゅもん》のように心にひっかかった。
 式次第を書きおわると、かれは事務室にもどり、新聞を読んでいた塾生たちにまじってストーヴを囲んだ。しかし気持ちはやはりおちつかなかった。
(どんな人をでも、平和であたたかい空気の中に包みこむ、それが塾の理想でなければならないことは、むろんよくわかっている。だが、そのためには、実際にどうふるまええばいいのか。先生は、まさか、ぼくに追従笑《ついしょうわら》いをさせようとしていられるのではあるまい。自然の感情をいつわるところに、何の平和があり、何のあたたかさがあろう。いっさいに先んじて大切なのは、自分をいつわらないことではないのか。)
 そうした疑問が、胸にわだかまって、かれは塾生たちと言葉をかわす気にもなれないのだった。
 そのうちに、ぼつぼつ来賓が見えだした。田沼理事長も、いつもよりは少し早目に自動車で乗りつけた。次郎は、出迎《でむか》えながら、それとなくその顔色をうかがったが、友愛塾の精神を象徴《しょうちょう》するかのような、その平和であたたかな眼には、微塵《みじん》のくもりもなく、そのゆったりとしたものごしには、寸分のみだれも見られなかった。次郎は、ほっとした気持ちになりながらも、一方では、何かにおしつけられるような、変な胸苦しさを覚えた。
 最後に二台の自動車が、同時に乗りつけた。その一つは、荒田老のであり、もう一つは、星章《せいしょう》を光らした大型の陸軍用であった。荒田老は、例によって鈴田《すずた》に手をひかれながら、黒眼鏡の怪奇《
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