ころではなかった。心のどこかにまだかすかに残っていたぬくもりが、すっとぬぐい去られたような気がしながら、いそいでつぎの行に眼を走らせた。つぎの行は、次郎にとって、いっそう残酷だった。
「しかし、次郎さん、これは決して私の感傷ではありません。なるほど、根のない花を、根のないままに胸にさして一生を終わるなどと申しますと、いかにもため息まじりの感傷にすぎないかのようにきこえるかもしれませんが、私はそういうことをただあきらめの気持ちで申しているのではないのです。私は弱い女ながらもやはり一人の人間として生きております。人間には意志があります。意志は、それにふさわしい知恵と情熱との助けをかりることさえできれば、根のない希望に根をはやすことだってできると信ずるのです。私はこのことを挿木《さしき》のことから思いつきました。次郎さんも、まだきっとお忘れではないと思いますが、何年か前の梅雨《つゆ》のころに、私と二人で、お宅の畑にいろんな木を挿木にしてみて、それがたいてい成功したので大喜びをしたことがありましたね。私、今度のことで思いなやんでいるうちに、ふとそのことを思い出したのです。それを思い出すと、私の胸には、何かしら勇気みたようなものがよみがえってきました。そしてそれと同時に、今は根のない私の希望も、それを大事に胸にさしてさえおれば、きっと根をはやすにちがいない、いや、根をはやさせずにはおかないと思うようになったのです。それにしても、次郎さんと二人で挿木をして楽しんでいたころの記憶《きおく》が、こうした場合に私を力づけてくれるなんて、運命というものは、何とふしぎなものでしょう。」
 次郎の頭に、自然に浮かんで来たのは、いつもかれの人生|哲学《てつがく》の奥《おく》にひそんでいる「無計画の計画」という言葉であった。これは、しかし、この場合、かれにとって何とにがい味のする言葉だったろう。
「次郎さん、今、私がどんな気持ちでいるかは、これでもうおわかりくだすったことと思います。私はむろん悲しいには悲しいのですが、決して悲しみに負けてはいません。それだけはどうぞご安心ください。そして、もし私の今の気持ちをお認めくださいますなら、私がこれから進もうとする道にお力をおかしください。実は、私は、はじめのうち、私を思っていてくださるという恭一さんのお友だちがどなたであるか、知りたいとは少しも思いませんでした。それは前にも書いた通りです。しかしいろいろ考えていますうちに、すべてのことをはっきり知った上でありませんと、自分の進む道も見つからないだろうということに思いあたったのです。それで、今では一ときも早くその方のお名前を知りたいと思っていますが、父はなぜか、どうしてもそれを私に教えてくれません。何度かたずねてみましたけれど、いつもむずかしい顔をして、お前は知らないほうがいい、と答えるだけなのです。私自身では、恭一さんにどんなお友だちがおありなのか、それさえわかっていませんので、見当をつけようにもつけようがありません。もっとも、大沢《おおさわ》さんという方には上京中二三度お目にかかり、一度は恭一さんと三人で映画を見に行ったこともありましたので、あるいはあの方かとも思ってみました。しかし、お見うけしたところ、二度や三度顔を見たばかりの女に心を動かすような、そんな軽薄《けいはく》な方だとも思えませんし、そう疑ってみるだけでも失礼なような気がいたします。恭一さんだって、そんな軽薄な人を私におすすめくださるほど、私に対して不親切ではないでしょう。私は、私の希望に根をはやすために、せめてそれだけは信じていたいと思います。」
 次郎は、鋭《するど》い切尖《きっさき》がじりじりと胸にせまるような気味わるさと、何もかもが身辺から消えて行くような寂《さび》しさとを、同時に感じながら、最後に残された二枚の便箋に眼を走らせた。
「こんなわけで、私にはその方のお名前を知る手がかりが全くありません。むりやりに父にたずねたら、あるいは、しまいには言ってくれるかもしれませんが、恭一さんのことを私に忘れさせようとして苦しんでいる父を、この上苦しめたくはありません。で、最後にたよるところは次郎さんです。実をいうと私ははじめのうち、こんなことを次郎さんに打ちあけたくはありませんでした。それは次郎さんに軽蔑されそうな気がして、それがこわかったからでもありますが、それよりも、恭一さんがそれをどうお思いになるだろうかと、それが心配だったからです。しかし、今はもうそんなことにかまってはいられません。私は、とにもかくにも、ほんとうのことが知りたいのです。ほんとうのことを知ることが、私のこれからの道を私に教えてくれるだろうという気がするのです。次郎さん、どうか私にお力をおかしください。軽蔑しながらでもいいから
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