「国賊《こくぞく》朝日を破壊《はかい》する」と叫《さけ》んで社内に乱入し、印刷局の活字ケースなどをめちゃくちゃにひっくりかえしたそうである。
 叛軍の一部は今朝から赤坂の山王ホテルに宿営している。料亭《りょうてい》幸楽も午前十時ごろ若い将校から多量の酒と弁当の注文をうけたが、ここもあるいはかれらの宿営所として占領されるかもしれない。
 田沼先生は、一通り以上のような状況を話しおわると、言った。
「何より心配だったのは、軍部の巨頭《きょとう》がこれに参加してはいないかということでしたが、それはさすがにないようです。少なくとも、今のところ、直接|指揮《しき》しているとは思えません。その点からいって、さわぎがすぐにも全軍に波及《はきゅう》するようなことは、おそらくないだろうと思います。もっとも、派閥《はばつ》を作るような巨頭連のことですから、今後どう動くか、安心はできません。現に、巨頭連の中には、叛軍の説得に行って、“ご苦労さん、よくやったね”とか、“お前らの心はようくわかっとる”とか言って、かえってご機嫌《きげん》をとったり、はなはだしいのは万歳《ばんざい》をとなえてやったものもあったそうですからね。」
「それはひどい。」
 と、小川先生はひとりごとのように言って、その鈍重《どんじゅう》な眼をぎろりと光らせたが、
「いったい、そういう人たちは、この事件を、どう考えているんでしょう。それにいくらかでも、正当性があるとでも思っているんでしょうか。」
「そこなんです、心配なのは。われわれの考え方からすると、これほど明白な叛乱はないのですが、軍首脳部で、まだ一人も叛乱という言葉をつかった人はないようです。それどころか、五・一五の場合と同じように、行動を正当づけるような名称を案出するのに苦心しているらしいのです。」
「むろん、もう陛下《へいか》のお耳にもはいっているでしょうが、陛下はどうお考えでしょう。」
「そのことは、まだ、はっきりしたことは私にはわかりません。しかし、陛下はご聡明《そうめい》です。それに――」
 と、田沼先生は、ちょっと言いよどんだが、
「ご側近《そっきん》には、湯浅《ゆあさ》内大臣のような方もおられます。内大臣はあくまでも筋の通った方だと私は信じます。」
「内大臣には危険はなかったのですね。」
「ええ、ご無事でした。」
 と、田沼先生は何かを回想するようにしばらく眼をつぶったが、
「実は、今朝ほんの五分間ほどお目にかかって来たのです。」
 みんなは眼を見はった。田沼先生は、しかし、もうそれ以上そのことについて何も言おうとはしなかった。沈黙《ちんもく》がかなりながいことつづいた。次郎はかって経験したことのない異様な興奮と、厳粛《げんしゅく》な気持ちとを同時に味わいながら、じっと先生の横顔を見つめていた。すると、朝倉先生が、沈黙をときほぐすように、たずねた。
「叛乱をおこした若い将校たちは、すると、皇道派《こうどうは》ですね。」
「ええ、まあそうだと見なければなりますまい。統制派と見られていた教育|総監《そうかん》の渡辺大将が遭難《そうなん》されたのですから……。しかし、叛乱がいずれの側からおこされたかということは、今はもう問題ではありますまい。罪は軍全体にありますよ。」
「それは、むろん、そうです。もっとつきつめると、国民全体にあるとも言えますね。」
「ええ。おたがいとしては、そこまで考えてあと始末にかかる覚悟《かくご》がたいせつでしょう。ことにこの塾堂なんかではね。」
 朝倉夫人は、眼をふせがちにして三人の話をきいていたが、
「叛乱に参加している人数は、すべてで、どのくらいでございましょう。」
「千四五百のところらしいのです。むろん正確ではありませんが。」
「すると、それだけの兵隊さんが、はじめから計画に加わっていたわけなのでございましょうか。」
「そんなことはないでしょう。下士官以下は将校の命令で動いているにすぎないと思いますね。」
「そんな兵隊さんたちこそ、ほんとうにお気の毒ですわね。」
「ええ、それなんです。だれの胸にもすぐぴんとこたえるのは……。成り行きしだいでは、青年将校たちと同じように賊名《ぞくめい》を負わなければなりませんし、万一そんなことにでもなったら、実際、何と言っていいか……」
「そのうち、参加者の名前もわかるでしょうが、家族の方たちのお気持ちはどんなでしょう。」
「実は、市内の人で、自分の息子《むすこ》が参加していやしないかと、それを心配して、走りまわっている人が、もう何名もあるそうです。」
「そうでしょうともねえ。」
 みんなは、めいめいにテーブルの一点に眼をおとして、まただまりこんだ。
「そこで――」
 と、田沼先生は、ちょっと腕時計《うでどけい》を見て、
「午後の読書会は一時からでしょう。も
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