してもらうと、なるほどと思うね。」
「ぼく、これまで同じような題目の話をほうぼうできいたが、今日ほどぴんとこたえたことはないよ。内容に大したちがいはないがね。」
「やっぱり話す人の人柄《ひとがら》が大事なんだな。」
「そう言うと、ここに来る先生は、外来の先生でも、人柄に一派通ずるところがあるんじゃないかな。」
「うむ、どの先生もしみじみとしたところがあって、本気でぼくたちのことを考えていてくれるという気がするね。」
「ぼくは、はじめのうち、この塾の先生たちには、何だか活気がなくて物足りない気がしていたんだが、今から考えてみると、こちらが上《うわ》っ調子だったんだね。」
「それは、おそらく、君だけじゃないだろう。入塾式の日には、たいていの塾生が田沼先生や朝倉先生の話よりも、平木中佐の元気な話に感激《かんげき》したんだからね。」
「ははは。……しかし平木中佐だって、ふまじめではないだろう。あの人はあの人なりに、本気で日本の青年のことを考えているにちがいないよ。」
「それはそうかもしれない。しかし本気ぶりがちがうよ。自分の考えだけに夢中《むちゅう》になって、国民の地についた日常生活のことなんか、まるで忘れてしまっているような本気では困るね。」
「そうだ。そういうことが、ぼく、この塾にはいってから、よくわかって来たような気がする。」
「そういうことのわかった青年が、一村に五六名もいると、心強いんだがね。」
「そうだ。ぼくも、このごろしみじみそういうことを考えているよ。それで、ぼくの村からは、このつぎにもぜひだれか入塾させたいと思って、昨日手紙を出してすすめておいたんだ。」
「すいぶん手まわしがいいね。ぼくもさっそく手紙を書くことにしよう。」
 次郎は仕切り戸ごしにそんな話し声をきいていて、泣きたいような喜びを感じた。しかし、その喜びは、かれを一そう憂《ゆう》うつ[#「うつ」に傍点]にする原因でしかなかった。
(これほど塾生たちが期待してくれているこの塾の運命も、遠からず決定するのだ。何という矛盾《むじゅん》だろう。何という大きな損失だろう。)
 かれは、そう考えて、地だんだをふみたい気持ちだったのである。
 まもなく、また講義がはじまり、事務室も廊下も、ひっそりとなった。次郎は、休みの時間に塾長室で、今日の事変のことを朝倉先生から聞かされたにちがいない小川先生が、どんな講義をされるか、きいてみたい気持ちで一ぱいだったが、電話のことが気がかりで、やはり自室に残っていた。
 かれの眼は、べつに見る気もなく、机の上にひらいたままの「歎異抄」にそそがれた。そして、最初に眼にとまったのは、つぎの一節だった。
「念仏は、行者《ぎょうじゃ》のために、非行非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にあらざれば、非善といふ。ひとへに他力《たりき》にして、自力をはなれたるゆゑに、行者のためには、非行非善なり。」
 かれは、これまで、こうした絶対自力否定の言葉に強く心をひかれていた。それは、しかし、その言葉を素直《すなお》に受けいれてのことではなく、むしろその反対に、素直に受けいれることのできない自分の心のいたらなさをもどかしく思うからのことであった。どうして自分はこうも自分にとらわれるのだろう。自分の力ではどうにもならないということがはっきりわかっている場合でも、自分は身を投げ出して人の助けを求める気にはどうしてもなれない。何というあくどさだ。いや、何というけちくささだ。自分はかつて白鳥会時代には、「無計画の計画」とか、「摂理《せつり》」とかいう言葉を自分の心のよりどころにして、明るく人生を眺《なが》める態度を養って来たつもりであったが、それは単なる観念の遊戯《ゆうぎ》にすぎなかったのか。――そういった反省の気持ちで、かれはこれまで、その一節と取っくんで来たのである。
 ところが、今は全く別の方向にかれの気持ちが動き出していた。もしこの一節に真理があるとするならば、友愛塾とはいったい何だ。たとえひそやかなものではあっても、その時代への抵抗《ていこう》は決して「非行」ではないはずだ。民族生活の将来に描《えが》くその理想と、その実現のための実践《じっせん》は、決して「非善」とは言えないはずだ。「わがはからひ」を否定して、何の人生があり、何の喜びがあろう。生命とは、自主自律の力そのものを言うのではないのか。「念仏」だけでは、東京の事変はかたづかないのだ。――
 かれの心には疑惑《ぎわく》の嵐《あらし》が吹きはじめた。これまで胸の底ふかく培《つちか》い育てて来た「歎異抄」の魅力《みりょく》が、それで根こそぎになるというほどではなかったが、その枝葉の動揺はかなり激《はげ》しかった。かれはせっかちに、ページを先にめくり、またあ
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