中で、朝倉先生の踊りが目だってぎごちなかった。しばしば手のふり方や、足のふみ方をまちがえて、前後の人を面くらわせ、時には鉢合《はちあ》わせしそうになることもあった。そのたびに、塾生たちは手をたたき、腹をかかえて笑った。
朝倉夫人は、手振《てぶ》りのあい間あい間に、おりおり塾生たちを手まねきしては、踊りの輪に加わらせようとした。はじめのうちは、みんな尻《しり》ごみして、笑ってばかりいたが、踊りに自信のできたらしい塾生が、二三名、思いきって飛びこむと、あとは、つぎつぎにその数がふえて行った。
踊りはいつまでもつづき、時がたつにつれてその輪が大きくなり、あとでは、輪を二重にしなければ、室が狭《せま》すぎるほどになった。そして、そのころになると、まだ輪に加わらないでいる塾生は、ほんの四五名にすぎす、その四五名も、そうなると、すわっているのがかえってきまりわるくなったらしく、とうとう頭をかきかき、一人のこらずたちあがった。その四五名の中には田川や飯島がいた。大河や青山は、もうとうに踊りはじめていたのだった。
踊りの輪が大きくなり、二重になるにつれて、全体としては、しだいに熟練の度をまして行った。しかし、朝倉先生のように、いつまでたってもじょうずにならないものもあり、また新加入者があるごとに、かならず二度や三度は何かのへまをやったので、爆笑の種は容易につきなかった。
最も多く爆笑の種をまいたのは大河無門だった。かれの不器用《ぶきよう》さは朝倉先生どころではなく、その手振りはまるで拳闘《けんとう》でもやっているような格好であり、その足の運びには、四股《しこ》をふむ時のような力がこもっていた。しかも、かれ自身は、どんなへまをやっても微笑一つもらさず、いつも真剣《しんけん》そのものといった顔つきをしていたのである。
次郎は、その晩は、最後まで、心から愉快《ゆかい》にはなれなかった。みんなが愉快になればなるほど、変にいらだつような気持ちになり、オルガンをひきながら、大河無門の不器用な踊りを見ていても、たださびしく笑うだけだった。そして、その晩の集まりが友愛塾音頭を打ちどめにして終わったあと、自室に引きとってからも、ともすると、大河の踊っている時の顔が眼に浮かんで来た。それは、かれの今朝からのにがい思い出を茶化しているような顔にも思え、また真剣に憂《うれ》えているような顔にも思えるのだった。
かれは、ふと、何と思ったか、このごろしばらく手にしなかった「歎異抄《たんにしょう》」を本立からひき出して机の上にひらいた。しかし、かれの眼は、その中にしるされた文字に深くはいっていくようではなかった。かれは何度か髪《かみ》の毛をむしり、ため息をついたあと、ばたりと「歎異抄」をとじ、その上に顔をふせてしまったのである。
八 手紙
それから四日目の、昼食後の休み時間のことであった。次郎が、葉の落ちつくしたくぬぎ林の、日あたりのいい草っ原で、四五人の塾生《じゅくせい》たちを相手に雑談をしていると、郵便物当番の塾生がやって来て、かれに一通の分厚な封書《ふうしょ》を渡《わた》した。見ると恭一《きょういち》からの手紙である。
同じ東京に住むようになってからは、しばしば顔を合わす機会も得られたので、これまで、恭一との間の通信は、おたがいに葉書ぐらいですませており、長い手紙など、一度もやりとりしたことがなかったし、それに、先日|道江《みちえ》といっしょにたずねて来てもらった時のいきさつもあったので、次郎はその分厚な封書を受け取ると、心にかなりの動揺《どうよう》を感じ、もう落ちついて雑談などしておれなくなった。かれは、しかし、しいて平気をよそおいながら、無造作《むぞうさ》に手紙をかくしに突《つ》っこんだ。それから、立ちあがって背のびをしたり、両腕《りょううで》をふりまわしたりしたあと、一人でぶらぶらと赤松《あかまつ》の林のほうに歩きだした。そして、林をすこしはいって、人目のとどかないところまで来ると、いそいで手紙の封をきり、むさぼるように読み出した。
「……直接会って話すほうが誤解がなくていいと思ったが、しかし、話しているうちに、おたがいの感情がもつれあって、かえって誤解を招くような結果になりはしないか、というふうにも考えられたので、やはり手紙を書くことにした。ぼくは手紙を書くことによって、だれにもさまたげられないで、ぼくの考えていることを、その正否は別として、いちおうピンからキリまで君につたえることができると思うのだ。もっともこの手紙を書くことになった動機は、現在の君の心境についての、ぼくの一方的な判断――むしろ想像といったほうが適当かもしれないが――にあるのだから、その判断がてんで見当ちがいだとすれば、この手紙は全然、無意味だということになるだろう
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