》しながら、恭一に言った。
「大河君は、普通《ふつう》の塾生とはちがって京大を出た人だよ。専門は哲学《てつがく》だ。しかし概念《がいねん》の哲学者じゃない。孔子《こうし》とかソクラテスとかいった型の、いわゆる哲人だね。今日は居残っていてもらってちょうどよかった。大いに教えてもらうんだな。」
ごちそうはさつま汁《じる》だった。あたたかい日ざしの中でそれをすすっていると、汗《あせ》をかきそうだった。食後の蜜柑《みかん》が、舌にひやりとして甘《あま》かった。
朝倉夫人が食卓のあとかたづけをはじめると、道江がそれを手伝った。そのあとは、またいっしょになって話がはすんだ。話題は、ひる前の空林庵での懐旧談《かいきゅうだん》とはちがって、人生論めいたことを中心に、民族とか、国家とか、階級とかいうことにまで及《およ》んだ。おもに口をきいたのは、先生と恭一と大河の三人だった。中でも大河が主役の観《かん》があった。それは、朝倉先生も、恭一も、大河を相手に話しかけがちだったからである。
次郎はほとんど聞き役だったが、かれの関心の中心もやはり大河だった。かれはまず第一に、大河の頭が論理的にもすばらしく緻密《ちみつ》であるのにおどろいた。しかし、いっそうおどろいたのは、その緻密な論理の中から、間歇的《かんけつてき》に、気味わるいほどの激《はげ》しい情熱と強い意力とがほとばしり出ることだった。大河は、いつも半ば顔を伏《ふ》せ、眼をつぶるようにして、ぼそぼそと、落ち葉をふむ足音のような声で話すくせだったが、何か大事だと思う話の焦点《しょうてん》にふれだすと、その眼は、やにわにぎらぎらと光って相手をまともに見つめ、その厚い真赤な唇からは、青竹をわるような澄《す》んだ調子の高い声が、つづけざまに爆発《ばくはつ》するのだった。
次郎が、その日|感銘《かんめい》をうけた大河の言葉は、一つや二つではなかったが、とりわけ心に深くしみたのは、つぎの言葉だった。
「先生は、さっき、ぼくを、孔子やソクラテス型の哲人だなんて持ち上げてくだすったんですが、ぼくは、実は、そんなふうに言われると、悲観するんです。悲観するというのは、そんな偉《えら》い人たちと、ぼくとの間に距離《きょり》がありすぎるからばかりではありません。そういう事とは別に、ぼくにはぼくの考えがあるからなんです。生意気なことを言うようですが、孔子やソクラテスは凡俗《ぼんぞく》の上に立って凡俗を教えた人たちではありましたが、凡俗といっしょに暮《く》らした人たちではなかったと思います。その意味で、ぼくの今の気持ちには、何かぴったりしないところがあるんです。ぼくは、今のところ、教える人になりたいとは、ちっとも考えていません。自分も凡俗の一人として、凡俗といっしょに暮らしてみたい。おたがいに凡俗のまごころをつくして暮らしてみたい。ただそう思うだけなんです。これは、あるいはまちがっているかもしれません。しかし、現在のぼくは、それよりほかに、気持ちよく生きて行く道がないような気がしているんです。」
この言葉には、次郎だけでなく、みんなも強い刺激《しげき》をうけたらしかった。ことに、朝倉先生は、その言葉をきくと、何かにおどろいたように目を見張り、しばらくして、うむ、うむ、と何度もうなずいたり、ながいため息をもらしたりしたほどであった。
恭一と道江とが帰ったのは、四時近いころだった。次郎は門のそとまで二人を見おくって出たが、わかれぎわになって、ふと思い出したように恭一に言った。
「ぼく、今度の期間を終わったら、ひょっとすると、ここの助手をやめるかもしれないよ。」
「え?」
と、恭一は、しばらく穴のあくほど次郎の顔を見つめていたが、
「何か失敗した?」
「失敗なんていうことはないけれど、ぼく、もっと考えてみたいことがあるんだ。」
「塾がいやになったんじゃないだろうね。」
「そんなことないさ。そんなこと――」
と、次郎はいかにも心外だというように、口をとがらしたが、
「要するに、ぼく、今のままじゃあ、不適任だという気がするんだ。」
「どうして?」
「どうしてって――」
と、次郎は目をふせたが、その視線の中には、白い足袋《たび》をはいた道江の足がはっきり浮《う》かんでいた。かれは、あわてたようにそれから眼をそらし、
「ぼく弱すぎるんだ。自信がなくなったんだ。だから、もっと自分を鍛《きた》えてみたいんだ。」
「自分を鍛えるのに、助手をやめる必要はないだろう。やめたら、かえって――」
「ぼく、孤独《こどく》になってみたいんだよ。」
「孤独に?」
「ぼく、実は、大河君がうらやましくなったんだ。大河君には、ぼくとちがって、朝倉先生のような、先生らしい先生がなかったらしい。大河君の力は孤独から生まれた力なんだ。ぼくはこれまで、あ
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