無力にする工夫をこらすほかに道はない。むろんそれは、厄介《やっかい》なことではあるさ。しかし厄介なだけに、うまくその始末がつけば、それだけ塾の抵抗力《ていこうりょく》をまし、かえって健康が増進されるとも言えるんだ。とにかく何事も事上|錬磨《れんま》だよ。その意味で、私は、今日はいい機会にめぐまれたとさえ思っている。こんなことを言うと、君はそれを私の負け惜《お》しみだと思うかもしれんが、しかし、避《さ》けがたいものは避けがたいものとして、平気でそれを受け取って、その上でそれに対処《たいしょ》するのが、ほんとうの自由だよ。それがほんとうに生きる道でもあるんだ。随所《ずいしょ》に主となる。そんな言葉があったね。じたばたしてもはじまらん。わかるかね、私のいっていることが?」
「わかります。」
次郎はかなり間をおいて答えた。かれは、しかし、まだ先生の気持ちを正しく理解していたわけではなかった。事上錬磨という言葉を通じて、権力に対する反抗の機会を暗示《あんじ》されたかのような気持ちでいたのである。
朝倉先生は、次郎の心の動きを見とおすように、その澄んだ眼をかれの顔にすえていたが、急に笑顔になって、
「そこで、変なことをきくようだが、君は今日、軍からの来賓に対して、どんな態度で接するつもりかね。」
これは、次郎にとって、なるほど変な質問にちがいなかった。かれは、これまで、来賓に対する態度のことまで先生に注意をうけたことがなかったのである。かれはいかにも心外《しんがい》だという顔をして、
「ぼく、べつに何も考えていないんです。あたりまえにしていれば、いいんでしょう。」
「あたりまえ? うむ。あたりまえであれば、むろんそれでいいさ。そのあたりまえが、友愛塾の精神にてらしてあたりまえであればね。」
次郎は虚《きょ》をつかれた形だった。朝倉先生はたたみかけてたずねた。
「まさか、君は、あたらずさわらずの形式的な丁寧《ていねい》さを、あたりまえだと考えているんではないだろうね。」
次郎は眼をふせた。しばらく沈黙がつづいたあと、朝倉先生は、しんみりした調子で、
「今さら、君にこんなことを言う必要もないと思うが、友愛塾は、どんな相手に対しても冷淡《れいたん》であってはならないんだ。あたたかな空気、それが塾の生命だからね。お互《たが》いは、それで世に勝とうとしている。勝てるか勝てないか
前へ
次へ
全218ページ中47ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング