と委《くわ》しく話すといわれましたな。」
「ええ、申しました。」
「わしは、それを傍聴《ぼうちょう》さしてもらえば結構です。」
「なるほど、よくわかりました。どうか、ご随意《ずいい》になすっていただきます。」
 来賓たちは、あとに気を残しながら、間もなく引きあげた。田沼《たぬま》理事裏もすぐあとを追って引きあげたが、立ちがけに荒田老の肩《かた》を軽くたたきながら、冗談《じょうだん》まじりに言った。
「どうぞごゆっくり、私はお先に失礼します。あとは塾長まかせですが、塾長に何かまちがったことがありましたら、お叱《しか》りは私がうけますから、よろしく願いますよ。」
 荒田老は、それに対してはうんともすんとも答えず、腕を組んで木像のようにすわっているきりだった。
 そのあと、玄関で、塾長と理事長との間に小声でつぎのような問答がかわされたのを、次郎はきいた。
「行事はいつもの通りにすすめていくつもりです。」
「むろん。」
「さけ得られる摩擦《まさつ》はなるだけさけたいと思っていますが……。」
「そう。それはできるだけ。……しかし、それも塾の方針があいまいにならない程度でないと……」
「それは、いうまでもありません。」
 やがて午後の懇談会の時刻になった。合い図はすべて、事務室の前につるした板木《ばんぎ》――寺院などでよく見るような――を鳴らすことになっていたが、次郎がその前に立って木槌《きづち》をふるおうとしていると、荒田老の例の付き添いの男――鈴田《すずた》という姓《せい》だった――が、塾長室から急いで出て来てたずねた。
「懇談会はどこでやるんです。」
「さっき食事をした畳敷きの広間です。」
「あ、そう。」
 と、鈴田はすぐに塾長室に引きかえした。そして、次郎がまだ板木を打っている間に、荒田老の手を引いて広間にはいって行った。
 次郎が板木を鳴らしおわって広間にはいったときには、荒田老はもう窓ぎわに、鈴田とならんでどっしりとすわりこんでいた。次郎が床《とこ》の間《ま》のほうを指さして、
「どうぞこちらに。」
 というと、鈴田はだまって手を横にふり、ただ眼だけをぎらぎら光らした。
 やがて朝倉夫人が炊事場のほうから手をふきふきやって来て、しも手の入り口から中にはいった。ほとんど同時に、朝倉先生もかみ手のほうの入り口からはいって来た。
 二人は代わる代わる荒田老に上座《かみざ》
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