いって来たばかりの僕《ぼく》たちに、そんなことができるわけがないじゃないか。ね、そうだろう。」
「じっさいだね。」
第三の声が、今度は心から共鳴したらしくこたえた。
そのあと、しばらくは、がやがやといろんな声が入りみだれた。どの声もいくぶんうわずった真剣味《しんけんみ》のない声だったが、しゃがれた声に相づちをうっていることはたしかだった。おりおり、何かを冷笑するような声もまじっていた。
そうしたざわめきをおさえつけるように、また、しゃがれた声がいった。
「だからさ、だから、もう相談なんかする必要はないよ。」
みんなは、ちょっとの間|沈黙《ちんもく》したが、すぐだれかが、
「しかし、懇談会がはじまったら、何とか報告はしなくちゃならないんだろう。」
「そりゃあ、報告はするさ。ぼく、やってもいいよ。」
「何と報告するんだい。」
「相談の必要なし、ということに相談できめた。そういえばいいだろう。」
どっと笑い声がおこった。すると、しゃがれた声が、おこったように、
「ぼく、ふざけていってるんじゃないんだ。じっさいそうだから、そういうよりほかないじゃないか。もしそれでいけなかったら、ぼくいつでも退塾するよ。わざわざ旅費を使って出て来たのが、ばかばかしいけれど、しかたがない。」
室内が急にしいんとなった。
次郎は、これまでの例で、この日の室ごとの相談会に大した期待はかけていなかった。また、軽い気持ちでなら、かれらの間にそうした言葉のやりとりぐらいはあるだろう、とも想像していた。しかし、しゃがれた声の調子はあまりにもいきりたっていたし、それを今朝の式場での平木|中佐《ちゅうさ》の言葉と結びつけて考えないわけには行かなかった。
かれは変な胸さわぎを覚えながら、息をころしていた。
「じゃあ、君にまかせるかな。」
だれかが不安そうにいった。
「ほかの室では、どうなんだろう。」
べつの声で、これもいかにも不安そうである。
「ぼく、様子を見て来るよ。」
だれかが立ちあがる気配《けはい》だった。
次郎は、それであわてて事務室のほうにいそいだ。
かれは、事務室にはいっていって自分の机のまえに腰《こし》をおろすと、急に、立聞きをしたり、あわてて逃《に》げだしたりした自分のみじめさが省《かえり》みられて、さびしかった。それは、変にいらいらしたさびしさだった。しだいに腹もたっ
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