生を希望しているし、また、君が助手だからといって、大河を先輩《せんぱい》として尊敬できないという理由もないだろう。」
「それはむろんそうですけれど……」
「それとも、大河に気押《けお》されて、やるべきことがやれないとでもいうのかね。」
「そんなことはありません。ぼくはただ朝倉先生のあとについて、仕事をやっていくだけのことなんですから。」
「じゃあ、何も気にすることはないじゃないかね。」
「ええ。」
 と、次郎はこたえたが、まだ何となく気持ちを始末しかねているふうであった。
 田沼先生は、しばらくその様子を見まもったあと、
「やはり気がひけるらしいね。」
「ええ、ぼく、代われたら代わりたいと思うぐらいなんです。」
「代わる? そんなことはできないよ。かりにできたところで、それは小細工《こざいく》というもんだ。そんな小細工をするよりか、与《あた》えられた立場をそのまますなおに受け取って、それを生かす工夫《くふう》をしたらどうだ。君自身のためにも、大河のためにも、塾生たちみんなのためにも、生かそうと思えばどんなにでも生かされると思うがね。私は、ある意味では、むしろ、いいチャンスが、君にめぐまれたとさえ思っている。元来、環境《かんきょう》というものは、それが不合理であっても、無理に小細工をして変えようとしてはならないものなんだ。まずその環境をそのまま受け取って、その中で自分を練りあげる。それでこそほんとうの意味で環境に打《う》ち克《か》てるし、またそれでこそ、どんな不合理も自然に正されていくだろう。私は何事についても、そういう考えから出発したいと思っている。暴力に訴《うった》える社会革命に私が絶対に賛成できないのも、根本はそういうところにあるんだ。」
 次郎はじっと考えこんだ。すると田沼先生は急に笑いだし、
「つい、話がとんでもない、大きな問題に飛躍《ひやく》してしまったね。しかし、真理は問題の大小にかかわらないんゼ。小細工はいわば小さな暴力革命だし、暴力革命はいわば大きな小細工だからね。……大きな小細工なんて、言葉はちょっと変だが。……とにかく君は、君のやるべきことを落ちついてやって行くことだ。大河に気おくれして仕事がにぶってもならないし、かといって、大河に心で兄事《けいじ》することを忘れてもならない。世間には、先生よりも弟子《でし》のほうが偉《えら》い場合だってよくある
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