も声をたてて笑ったわけではなかった。笑うにはあまりにまじめずぎる光景だったし、しかも、その当事者が二人とも、場内での最も重要な人物らしく見えていただけに、微笑《びしょう》をもらすことさえ、さしひかえなければならなかったのである。しかしまた同じ理由で、おかしみはかえって十分であった。したがって、それをこらえるしぐさで、場内の空気がゆらめいたのに無理はなかったのである。とりわけ次郎にとっては、それがかれの最も緊張《きんちょう》していた瞬間《しゅんかん》のできごとであったために、そのおかしみが倍加されていた。かれは唇《くちびる》をかみ、両手をにぎりしめて、こみあげて来る笑いをおしかくしながら、中佐の表情を見まもった。
 中佐は、その口もとをわずかにゆがめて苦笑した。それは場内で見られたただ一つの笑いだった。その笑いのあと、かれはほかの来賓たちのほうは見向きもしないで、靴《くつ》と拍車《はくしゃ》と佩剣《はいけん》との、このうえもない非音楽的な音を床板《ゆかいた》にたてながら、壇《だん》にのぼった。
 次郎の気持ちの中には、もうその時には、どんなかすかな笑いも残されてはいなかった。かれは、中佐の青白い横顔と、塾生たちのかしこまった顔とを等分に見くらべながら、息づまるような気持ちで中佐の言葉を待った。
 中佐は、しかし、あんがいなほど物やわらかな調子で口をきった。そして、まず、田沼理事長と朝倉塾長の青年教育に対する努力を、ありふれた形容詞をまじえて賞讃《しょうさん》した。それは決して、真実味のこもったものではなく、いちおうの礼儀《れいぎ》にすぎないものであることは明らかであったが、次郎はそれでも、この調子なら、そうむき出しに塾の精神をけなしつけることもあるまい、という気がして、いくぶん緊張をゆるめていた。
 しかし、中佐のそんな調子は三分とはつづかなかった。かれはやがて世界の大勢を説き、日本の生命線を論じた。そしてその結論としての国民の覚悟《かくご》について述べだしたが、もうそのころには、かれはかなり狂気《きょうき》じみた煽動《せんどう》演説家になっていた。さらに進んで青年の修養を論ずる段になると、かれの佩剣の鞘《さや》が、たえ間なく演壇の床板をついて、勇《いさ》ましい言葉の爆発《ばくはつ》に伴奏《ばんそう》の役割をつとめた。かれはしばしば「陛下《へいか》」とか「大御心《おお
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