ま》の顔って配属将校そっくりだな。」と言ったことにはじまるらしい。上下からおしっけたような顔に、大きな眼玉がぎろりととび出し、耳まで割れたような口が、ものを言うたびにぱくぱくと開くところなど、なるほど、生徒が蟇を見て少佐を連想したのに無理はなさそうである。
少佐は、はいって来るとすぐ、視線を次郎にそそいだ。次郎はその時まで、まだ立ったままでいたのである。それから、つかつかと教壇に上り、座長席の田上を見おろしてたずねた。
「今何か話をしていたのは誰だったかね。」
「僕です。」
田上が答えるまえに次郎が答えた。
「ああ、君か。君は本田だったね。」
「そうです。」
「君は今、約束を守れとかしきりに言っていたようだが、その約束というのは何かね。」
次郎は答えなかった。答えてわるい約束ではないと思ったが、答えれば、自然、ストライキ主張者のことを言わなければならないと思ったからである。
「先生に言っては悪いような約束かね。」
曾根少佐は相手から眼をそらして上眼をつかい、ぱちぱちまばたきをしながらたずねた。これは少佐が生徒を糺問《きゅうもん》する時におりおり見せる表情で、少佐自身では、それで自分の顔付が非常に和らいで見えると思っているらしいのである。
「悪い約束なんかしません。」
「じゃあ、かくさないで言ったらいいだろう。」
次郎はやはり答えなかった。
曾根少佐は、しばらく次郎の顔を見つめたあと、西山教頭と顔を見合わせ、何かうなずきあった。すると西山教頭は、その三角形のまぶたの奥に、いかにも沈痛らしく眼を光らせ、一わたりみんなを見まわした。それから右手をラッパのようにして口にあて、いくらか眼をおとして「えへん」と大きな咳をした。そして何か秘密なことでも打明けるように、声をひそめて話し出した。
「実は、曾根先生が配属将校としてのお立場から、今度の君らの行動について、いろいろとご心配下すっていたので、きょうはさっきから、私と二人きりで、とくとご相談をしてみたわけだが、だんだん先生のお話を承っていると、君らのこれからの行動次第では、容易ならん結果になりはしないかと心配される。それで、これは少佐のお立場上ごむりかとは思ったが、私たち二人が、一先ず学校という立場をはなれ、全くの個人として、君らと肚をわって話合ってみたい、そういうことに私からお願いして、実は校長先生にもご相談しないでこの席にやって来たわけだ。どうか、そのつもりで私たちの話もきいてもらいたいし、また、君らの方でも、言いたいことがあったら、何でもかくさず言ってもらいたいと思う。」
そういう前置きをして、西山教頭の話したことは、要するに次のようなことであった。
――時代は満州事変を契機として急転回しつつある。革新のためには多少の犠牲はやむを得ない。そうした犠牲を否定する人があるが、それは古い考え方に捉われているからである。どんな人格者であろうと、古い考えに捉われて新しい時代を理解しなければ、葬られるのが当然である。
――青年は革新の原動力であり、新しい時代の創造者である。時代の動きに鈍感であっては青年の意義はない。青年は純情だといわれるが、その純情も本末を誤ると、むしろ有害である。師弟の情誼《じょうぎ》のために純情を傾けるのは美しいには美しい。しかし、それは新しい時代の創造ということにくらべると、私情でしかない。青年の純情は先ず第一に時代の創造のために傾けらるべきである。万一にも本末を転倒するものがあれば、それらの青年も時代の犠牲者となろうとを覚悟しなければならないだろう。
西山教頭は、一席の講演でもやるような調子で、以上のような意味の事を述べたが、一度も「朝倉先生」という言葉をつかわないで朝倉先生の問題にふれようとするところに、その苦心があったらしく思われた。そして最後にこんなことを言って腰をおろした。
「今言ったような根本的なことは、実は校長先生から、もうとうに君ら全部に対してお話があっているのが当然だと思うが、残念ながら、これまでにそんな機会がなかったらしいので、念のため私から話した次第だ。とにかく、時代ということを忘れないで、十分思慮ある行動に出てもらいたい。とりわけ軍人志望の諸君はよほど自重して、一言一行をつつしまないと、折角の志望が駄目になるかも知れない。このことについては、あとで曾根少佐からもお話し下さるだろうと思うが、特に留意を促しておきたい。」
西山教頭が腰をおろすと、曾根少佐がすぐそのあとをうけて言った。
「根本的なことは、今、西山先生の言われたことでつきていると思うから、自分としては、もう何も言うことはない。ただ、君らの参考のために打明け話をすると、実は自分はこの三四日非常に立場に困っているんだ。というのは、自分は本校に配属されている以上、むろん本校職員の一人だが、身分はあくまでも軍人である。従って、軍の命令なり要求なりを拒むわけにはいかない。そこに苦しいところがあるんだ。たとえば、憲兵隊から君らの動静について報告を求められたとする。本校職員たる曾根としては、出来るだけ君らの不利になることは報告したくないが、軍人としての責任上、報告せざるを得ない。現にきょうも、憲兵隊では、もう君らがこうして集まっていることを知って、さっきからたびたび電話でいろんなことを自分にたずねて来ている。実際困ったことだ。もっとも、困るといっても、これまでは大したこともなかった。血書の陳情《ちんじょう》をしたという以外に、まだこれといって不穏な言動があったということもきいていないし、自分としては、あくまでも、今度の問題は師弟の情誼の問題で思想問題ではない、という立場で報告することが出来たんだ。しかし、今後の情況如何ではそうはいかないだろうと思う。なにぶん、憲兵隊では、はじめっからこれを思想問題だと見て、重大視しているようだし、君らの行動に多少でもそういう徴候《ちょうこう》があれば、自分として、それをかくして置くわけにはいかんのだからね。ことに、西山先生もさっき言われたことだが、軍人志望の者は自重しなくちゃいかん。実をいうと、軍人志望者は、こういう会合に顔を出しているということだけでも問題になるんだ。なお、軍人志望のものでなくても、いずれはみんな軍隊の飯を食わなければならんし、その場合、幹部候補生になるには、やはり中学時代の履歴がものをいうのだから、自重するにこした事はない。」
話が終るまで、生徒たちは案外静粛だった。しかし、誰も心から感心してきいていたようではなかった。軽蔑と反感をいだきながら、騒いだりしては損だから默っている、といったふうであった。
新賀をはじめ、そのほかの軍人志望者たちは、緊張するというよりか、むしろてれくさそうな顔をしていた。
「教員適性審査表」を作った森川も、軍人意望の一人だったが、彼は小さな手帳に、西山教頭が曾根少佐のひげの塵をはらっている漫画を描き、その横に、「思想善導楽屋の巻」と題していた。
みんなの中で、最も真剣な顔をしていたのは、恐らく次郎だったろう。彼は、曾根少佐の話が終ったあと、西山教頭が、「ではこれから君らの考えもききたい」と言ったのを機会にすぐ立ち上って言った。
「先生、質問があります。」
「うむ、何だ。」
「革新のためなら暴力を用いてもいいんですか。」
「いいということはない。しかし、国家のためにやむを得ない場合もあるだろう。」
「自分でやむを得ないと思ったらそれでいいんですか。」
西山教頭は答えにまごついた。すると曾根少佐がどなるように言った。
「ほんとうに国家のためと信ずるなら、いいにきまっている。」
次郎は皮肉なほど落ちついて、
「学校のためだったら、どうでしょう。やはりいいんですか。」
「それもほんとうに学校のためになるなら、いいとも、少しぐらいやるがいい。」
曾根少佐は、これまでに何度か生徒にビンタをくらわしたことがあるのである。
「じゃあ、ストライキはどうでしょう。」
生徒たちは、はっとしたように、一せいに視線を次郎に集中した。曾根少佐は眼玉をぎょろりと光らして、
「ストライキ? それがどうしたというんだ。」
「僕はストライキは一種の脅迫だと思います。つまり形のちがった暴力です。学校革新のためなら、暴力を用いてもいいとすると、ストライキもいいんじゃありませんか。」
「ぱかなことを言うんじゃない。ストライキは多数をたのむ卑怯者のやることだ。そんなことで革新なんか絶対に出来るものではない。」
「しかし、たった一人の年老いた総理大臣に、何人もの軍人がピストルを向けるほど卑怯ではないと思います。」
「だまれ! 貴様は赤だな。それでおおかたストライキがやりたいんだろう。」
「赤じゃありません。ストライキには絶対反対です。」
「じゃあ、なぜ今のようなことを言うんだ。」
「僕は暴力を否定したいんです。朝倉先生のお考えを正しいと信じたいんです。……西山先生。――」
と、次郎は急に西山教頭の方に向きなおり、
「先生も曾根先生と同じお考えですか。」
「むろん、そうだ。」
そうは答えながら、西山教頭は落ちつかない顔をしている。
「じゃあ、朝倉先生がいつも僕たちに言われていることは間違いだとお考えですか。」
「私は朝倉先生が君らにどんなことを言われていたか知らない。かりに知っていても、君らのまえでほかの先生のことを批評しようとは思わないよ。」
生徒たちの多数が言い合わしたように一度に吹き出した。次郎は、しかし、笑うどころか、まるで氷のような眼をして西山教頭をにらみながら、
「朝倉先生はいつも暴力を否定されたんです。そして、まえの大垣校長先生と同じように、校訓の大慈悲の精神を僕たちに説かれたんです。」
西山教頭はにがい顔をしている。すると曾根少佐がいかにも大ぎょうに、
「そうだ、その慈悲だ。大慈悲のためには、仏様でも、剣をふるわれるんだ。君はお不動さんの像を見たことがあるだろう。」
次郎は、しばらく曾根少佐の顔を見つめていたが、吐き出すように言った。
「先生のお考えはもうわかっています。僕は西山先生におたずねしているんです。」
「もうよせ。」
と、この時新賀がだしぬけに立ち上って、次郎のまえに立ちふさがるようにしながら、その両肩に手をかけた。そして、座長席の田上をふりかえり、
「田上、きょうはもう閉会にした方がいいんじゃないか。……どうだ、諸君、それがいいだろう。」
「賛成」とさけぶ声が四五ヵ所からきこえた。田上はすぐ閉会を宣した。みんなは、教壇の上で顔を見合わせている西山教頭と曾根少佐を残して、ぞろぞろと立ち上った。
次郎はもうその時には机の上に顔をふせて泣いていたが、新賀と梅本とが、両側から抱くようにして彼を室外につれ出した。
階段から下の廊下にかけて、生徒たちは、いつの間にかどっどっと歩調をそろえて歩きながら、どら声をはりあげて校歌をうたい出していた。
七 父兄会
生徒たちが、学校で、多少劇的ではあるが、この上もなく無作法な会合をやっていたのとほとんど同じ時刻に、すぐ隣りの県庁の二階の一室では、大人たちがおたがいに相手の肚をさぐりあいながら、表面は至極礼儀正しい物の言い方で、生徒たちのことについて「懇談」を重ねていたのだった。
この席につらなったのは、学校関係の県庁の役人数名、花山校長、それに二十数名の父兄たちであったが、そのほかに、警察と憲兵隊のかただといって特別に紹介された私服の人が二人、県庁の役人たちのうしろに、始終さぐるような眼をして陣取っていた。
主催者は、実際はとにかくとして、名目上は花山校長だった。そのあいさつによると、本来なら五年全部の父兄に学校に集まってもらわねばならないところだが、それではかえって生徒を刺戟する恐れもあり、結果が面白くないと思ったので、県当局のご好意に甘えてこの一室を拝借し、一先ずごく少数の父兄だけに集まってもらって、内密に懇談することにしたというのである。
校長のあいさつが終ると、すぐ、一父兄から、今日集まった父兄はどういう標準によって
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