のは。」
 今度は、次郎のすぐまえにいたひとりがたずねた。次郎は、はっとしたように顔をあげたが、すぐもとの姿勢にかえった。
「この中にいる一人が書いたんだ。しかし名前は言う必要がない。それは、これを書いた人は、これがみんなの総意だと信じきって書いたからだ。僕たちはただその人の熱意を生かせばいいんだ。」
 みんなは、探るようにおたがいに顔を見合わせたが、すぐまた血書の方に視線を集中して默りこんでいる。
「どうだ。いやしくも人間が血をもってつづった文字だ。これを生かすことに不賛成はあるまい。」
 むろん誰も異議を唱えるものはなかった。それどころか、これまでストライキ論を中心にざわついていた空気がすっかり沈静して、その底から一かたまりになった大きな力が、むくむくと盛りあがって来る、といった気配だった。
 その気配の中を、新賀は右から左に視線を走らせた。そして最後に、ただひとりわざとのようにうすら笑いをしている馬田の顔をにらみつけるように見た。馬田はすぐ眼をそらして窓のそとを見たが、そのうすら笑いは消えてはいなかった。新賀はその様子をしばらく見つめたあと、またみんなの方を見て言った。
「しかし
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