留任を懇請《こんせい》し、それがしりぞけられた場合にはストライキもやむを得ない、という意見であった。この意見の主張者は、とくにきまった顔ぶれではなかった。また議論としてさほどききごたえのある発言もなかった。しかしそれは多数の口で主張され、多数によって支持されていたようであった。
 そうした意見が交換されている間、次郎も新賀もふしぎに沈默を守っていた。ことに次郎は、自分の存在をなるだけ目立たせないように、注意してでもいるかのように、馬田とはちょうど反対の廊下よりの机によりかかって、しじゅう首をたれていた。梅本と馬田一派とがはげしくやりあっている最中でさえ、彼はちょっとその方をのぞいて見ただけで、すこしも興奮したようなふうはなかった。ただ彼がいくらか緊張したように見えたのは、論議もだいたいつきて、座長の田上が、「では、この問題の決をとりたいが、多数決できめてもいいのか。」と相談をかけた時であった。彼はその瞬間、急に首をもたげて田上を見、つづいて新賀を見た。そしてまさに立ち上りそうな姿勢になった。しかし、彼が立ちあがるまえに、新賀が発言したので、彼はそのまま腰をおちつけて、また首をたれた。

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