というが、たといつまらん役人でも、いやつまらん役人であれはあるほど、血書をつきつけられてそれを默殺するだけの勇気はあるまい。彼にはそんなふうにも思えるのだった。それは、満州事変このかた、軍部に対する血書の歎願といったようなものが青年の間に流行し、それが新聞に発表されるごとに、たいてい役人がきまって感激的な感想をもらしていたのを、よく知っていたからであったのかも知れない。
俊亮は、彼の気持にはとんちゃくなしに、
「しかし、せっかく書いたものをほごにするにも及ぶまい。まあ出すだけは出してみるさ。すこしなまぐさいだけで、べつにわるいことではないからな。まあ、しかし、これという返事は得られないものだと思った方がいいね。」
「まるで返事もしないって、そんなことがありますか。」
「そりゃあ、あるとも。多分学校といっしょになって秘密に葬《ほうむ》ろうとするだろうね。」
「秘密になんか出来っこありません。生徒の中に署名するものが何人もあるんですから。」
「役人の秘密というのは、誰でも知っていることを知らん顔することなんだよ。ははは。」
俊亮は声をたてて笑った。次郎は、にこりともしないで、父の顔を見
前へ
次へ
全368ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング