玄関で、次郎が靴をはき終ってうしろをふりかえると、洋間と反対側の日本間の入口から、女の顔がのぞいていた。それはあざけるような眼をした少佐夫人の真白な顔だった。
そとに出ると、彼の気持は案外おちついていた。言うべきことを憚《はばか》らず言った、というほこらしい気持にさえ彼はなっていた。急にのどの渇きを覚え、むしょうに水がのみたかった。彼は駅前に公共用の水道の蛇口があるのを思い出し、大急ぎでそこまで行きつくと、存分にのどをうるおした。そして、ほっとした気持になって帰途についたが、間もなくまた思い出されたのは、朝倉先生の険しい眼だった。それは不思議なほどあざやかに彼の眼に浮かんで来た。
とびあがり者!
そう考えた時に、彼は、駅の待合室で同じことを考えた時以上に、ぎくりとした。それは、ついさっき曾根少佐に対してとった自分の態度が、やはり飛びあがりものの態度ではなかったか、と思ったからである。
彼は車中の朝倉先生を想像した。夫人と向きあって、相変らず険しい眼をしてじっと何か考えていられる。先生の眼には、もう永久に、あの澄んだ涼しい光はもどって来ない。そんなふうにさえ彼には思えるのだった。
前へ
次へ
全368ページ中313ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング