大きな下り坂にも時にはちょっとした上り坂があるように、苦しい時代にも、時には有望らしく見える事件が起きる。すると、それでもう時代は上り坂になり、その事件が日本の無限の発展を約束してでもいるかのような錯覚《さっかく》に陥ってしまう。例えば、――」
と、先生はちょっと口籠って考えた。が、まもなく思いきったように、
「たとえば、ついこないだの満州建国だ。あれはなるほど、一応は日本の大発展を約束しているかのように見える。五族協和とか王道楽土とかいう言葉も、非常に美しい。それだけを切りはなしてみると、これほど道義的で華やかに見えることはない。そこでその華やかさに酔ってしまって、あとさきを考えてみる良心的な努力がお留守になる。建国のために置かれた礎石は果してゆるぎのない道義的なものであったか、どうか。それは汚れた手で置かれたものではなかったか。もしそうだとすれば、それはずるずると血の泥沼にすべりこみ、結局は日本までをその泥沼の中に引きずりこむのではないか。いやなことをいうようだが、真に冷静で良心的な国民なら、そういうことまで考えてみなければならないと思うのだが、それがなかなかむずかしい。つまり、
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