だり、逃げ出したりした時の光景やが、彼らの断片語によって次第に浮彫《うきぼり》にされて来た。こうした場合の、頭のいい青年の断片語というものは、ちょうどすぐれた彫刻家の鑿《のみ》みたような役目をするものなのである。
 朝倉先生夫妻も、俊亮も、腹をかかえて笑った。そして三人の笑いごえがきこえるたびごとに、彼らの興味は、しだいに食うことよりも話すことの方にうつって行くらしかった。
 本来ならば、憤激にはじまり憤激に終るべき性質のこの集まりが、こうした愉快な空気の中でその序幕を切ったということは、誰の頭にも計画されていなかった一つの偶然であったかも知れない。しかし、その偶然も、幾羽かの鶏の犠牲なくしては生まれなかったとすれば、その鶏を犠牲にした本田一家の、とりわけ俊亮の智恵は、たといそれが無意識の智恵であり、それも一つの偶然に過ぎなかったとしても、決して軽視されてはならないことだったのである。
 食事が終ると、また次郎の音頭で、鍋やその他の食器が階下に運ばれ、菓子袋がきちんともとの位置にもどり、土瓶が四五ヵ所に配置された。
 やがて大沢が立ち上った。
「きょうはいつもとちがった特別の集まりなの
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