そんなこと。」
肩をゆすぶられた生徒は、おこったように答えた。
「これまでは、辞令の発表といっしょに掲示が出たんじゃなかったかね。」
「そうだったかね。」
「どうして今度は出ないのだろう。」
「まだきまってないからだろう。」
相手は、まるでそれを問題にしていなかったらしかった。
「そうかなあ。」
次郎は仕方なしにそう答えたものの、心の中では、相手を低能だと罵《ののし》りたくなるくらいだった。
(学校は朝倉先生の送別式をおそれている。それで、何とかして、それをやらない工夫をしているんだ。)
彼には、そう疑えてならなかったのである。
間もなく午後の課業がはじまった。次郎たちのクラスは武道の時間だった。彼は剣道場に入って面をかぶりながら、入学後はじめて朝倉先生を知ったのが、ちょうど剣道の時間の直前だったことを思い出し、何か物悲しい気持にさそいこまれた。あの時、自分が、剣道は何のために稽古をするのか、という質問を出したのに対して、先生は、言下に、「見事に死ぬためだ」と答えられ、その意味を懇《こん》々と教えて下すったが、それがほんとうに理解出来たのは、いつごろのことだったろう。彼はそん
前へ
次へ
全368ページ中219ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング