食でもあわれむような気持で、あわれんでいたのだ。今は、あべこべに、自分こそあわれまるべき位置にある!……それにしても、同じ先生でありながら、いや、同じ人間でありながら、朝倉先生と宝鏡先生とでは、どうしてこうもちがうものか。)
彼は、今さらのように、人間がめいめいの生活態度によって、いかに自分の人間としての価値を上下しているかを考え、粛然《しゅくぜん》とならざるを得なかった。
しかし、彼のこの気持は、そう永くはつづかなかった。というのは、彼の心の片隅に、いつとはなしに一点の黒い影が動き出し、たちまちのうちに彼の気持全体をかきみだしてしまったからである。それは、ちょうど、清水の底にひそんでいた小魚が、急ににごりを立てて泳ぎ出し、縦横にはねまわったようなものであった。
運命! それは、彼が意識すると否とにかかわらず、いつも彼の心の底に巣食っている問題であるが、それが今濁り水のように、彼の心におおいかぶさって来たのである。
(宝鏡先生には宝鏡先生の運命があり、朝倉先生には朝倉先生の運命があるのだ。かりに宝鏡先生が朝倉先生ほどのまじめな生活態度をとったとしても、朝倉先生と同じ人間価値を発揮
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