て、僕はうれしいのです。もういつ処分されてもいいんですから、校長室につれていって下さい。」
「校長室になんか、行かなくてもいいんだ。君が得心《とくしん》してくれさえすれば、それでいいんだから。」
「しかし、校長先生から言い渡しがあるんでしょう。」
「言い渡しなんかないよ。諭旨退学ということになっているんだ。」
「諭旨――すると僕の方から退学願が出せるんですね。」
 次郎は眼をかがやかした。形式だけでも自発的に退学が出来るということが、妙にうれしかったのである。
「そうだよ。それもきょうあすでなくてもいい。もし近いうちに転校先でも見つかるようだったら、その方の手続きをしてもいいんだ。」
「それが出来るんでしたら、僕、朝倉先生にお願いしてみたいんです。」
「それがいい。私からもお願いしてみよう。東京には私立も沢山あるしね。」
 次郎は、もう処罰されるために呼び出された生徒のように見えなかった。
 黒田先生は淋しい笑顔になって立ち上りながら、
「じゃあ、君、ここでしばらく待っていてくれたまえ。君のことだから、ひとりで帰っても大丈夫だとは思うが、きょうはやはりお父さんといっしょに帰ってもらうことにしよう。お父さんは、実は、もうさっきから、学校にお見えになっているんだ。」
 次郎は、さすがにはっとしたように顔をあげて、室を出て行く黒田先生のあとを見おくった。
 そのころ、俊亮は校長室で、校長、西山教頭、曾根少佐の三人を相手に対談していたのだった。
 彼は、けさ、次郎がうちを出ると間もなく、学校からの呼出状をうけとって出て来たのであるが、先ず黒田先生から懇談的に、つづいて校長室で校長自身から極《きわ》めて用心ぶかく、次郎の諭旨退学の理由を説明されたのである。校長室には西山教頭も立ち会っていた。俊亮は、黒田先生とはわだかまりなく話が出来たが、校長からの説明の時には一言も口をきかず、ただ微笑しているだけだった。そして説明をきき終っても納得したのか、しないのか、一向要領を得ないような顔をして、かなり永いことだまっていた。校長は、それがよほど心配だったらしく、「これは全職員にはかりまして、一人の異議もなく決定いたしましたことで。」とか、「何分多数の生徒をお預りいたしています関係上、心ならずもこういうことになりました次第で。」とかいろいろそういったことをならべ立てた。
 俊亮はそんな言葉に対しても、ほとんど聞き流すような態度でいたが、おしまいに、ひょいと忘れものでも思い出したかのように言った。
「配属将校の方、曾根少佐と仰しゃいましたかね。――その方にちょっとお目にかからしていただけませんでしょうか。」
 校長は鼻をぴくりと上にすべらせて、西山教頭を見た。すると、西山教頭が、
「配属将校は生徒のことでは直接責任がないんです。処分は学校としてやるんですから。」
「むろん、そうだろうと存じます。」
 と、俊亮は西山教頭の方に眼をうつして、
「ですから、次郎の処分について私は配属将校の方にとやかく申そうというのではありません。」
「するとどういうご用件で?」
「次郎という人間をどうご覧になっているか、それを直接おききしたいのです。」
「それは、校長からさきほどおつたえしました通りで、あらためておききになる必要はないと存じますが。」
「私は、直接おききしたいと申上げているのです。」
「すると、校長をご信用なさらない、というわけですか。」
「信用するとか、しないとかいう問題ではありません。人の子の親として、一度、直接お会いして承《うけたまわ》っておきたいのです。」
 俊亮の態度は厳然としていた。
 西山教頭は、校長とちょっと眼を見あったあと、変に言葉の調子をやわらげ、
「しかし、何分、ほかの職員とはちがいますので、生徒の処分問題などで、父兄の方に直接会っていただくというようなわけには参りにくい点もありますし……」
「学校の一職員としてではなく、人間としてお会い下さるというわけには参りませんか。」
「どうも――」
 と、西山教頭は、わざとらしく笑って頭をかきながら、
「そんなふうにおっしゃられると、いよいよ事が大げさになるような気もいたしますが……」
「少しも大げさになることはありません。まじめなことではありますがね。」
「どうも――」
 と、西山教頭は、今度は冷笑に似た苦笑をもらした。すると、俊亮はきっとなって、
「いやしくも、次郎という一人の人間に、新しい運命、――と申しては或いは大げさになるかも知れませんが――よかれあしかれ一つの新しい方角をお与え下すった方に、親としての私が直接お会いしたいと申すのを、先生はまじめでないとお考えでしょうか。」
 西山教頭の三角形の眼が急に引きしまった。校長の鼻は上にすべったきり動かない。
 しばらく沈默がつづいたあと、西
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