思う方が間違っているだろう。」
次郎は、言えば言うほど自分が片意地になって行くような気がして、不愉快だった。で、恭一がまた何か言おうとしているのをはねとばすように、ふいと立ち上った。そして、
「とにかくあやまる必要はないよ。僕が僕のやったことに自分で責任を負えばいいだろう。」
そう言って階段の方に行きかけた。
「次郎さん! ほんとうにどうなすったのよ。」
道江の泣くような声が彼を追った。つづいて俊三が、茶化すような調子で、
「問答無用は卑怯だなあ。もっとやれよ、僕が審判してやるから。」
次郎は、しかし、ふりむきもしないで階段をおりかけた。
が、それはちょうど、俊亮が階下から階段に足をかけた時だった。俊亮のうしろには、大沢が立っていた。
「どこに行くんだい。」
俊亮が下からたずねた。
「畑に行くんです。」
次郎は、おりかけた足を階上に逆もどりさせながら答えた。
「そうか。」
と、俊亮は立ちどまって、次郎の顔をまじまじと見上げていたが、
「ちょっとお前に話があるんだ。やはり二階の方がいいだろう。」
そう言って、そのまるっこい体をのそのそと階上に運んだ。それから、
「やあ、道江さんも来ていたんだね。」
と、にこにこ笑いながら、みんなと円陣をつくった。
が、それっきり、持っていた団扇《うちわ》でゆるゆると頸《くび》のあたりをあおぐだけで、いつまでも口をきこうとしない。
「僕、次郎君のさっきの話、いま階下で小父さんにも話したんだ。」
大沢がとうとう先に口をきった。それでも俊亮はしばらく口をきかなかったが、急に団扇の手をやすめて次郎に言った。
「で、次郎、お前どう考えているんだい。」
「どうせ。学校にはもう行けないと思っているんです。」
次郎は眼をふせて答えた。
「そりゃあ、もうわかっている。父さんは、お前が配属将校に呼ばれたときいた時に、きっとそんなことになるだろうと覚悟をきめていたんだ。朝倉先生が別れぎわに言われた言葉だけでは、まだいくぶん未練《みれん》を残していたがね。」
みんなは顔を見合わせた。俊亮の言葉は、彼らにとって、全く意外だったのである。次郎自身は、なぐりとばされたようでもあり、ひょうしぬけがしたようでもあり、急に気が軽くなったような気持でもあった。
「だが――」
と、俊亮はちょっと考えて、
「どんな態度で学校を退《ひ》くか、その退きかたが問題だよ。それについて考えてみたかね。」
次郎は面くらった。まさか父はストライキをやれというのではあるまい。だとすると、学校の言いなりになって、おとなしく引きさがるよりほかに仕方がないではないか。――
次郎が考えこんでいると、俊亮は、だしぬけに、まるで次郎の問題とは無関係なようなことを言い出した。
「おまえがまだ七つ八つの子供のころに、近在のならず者がよくうちにやって来て、酒をのんだりしていたことがあるが、それを覚えているかね。」
次郎は、「指無しの権《ごん》」とか「饅頭虎《まんじうとら》」とか綽名されていたならず者共が、酒をのんでけんかを始めたのを、父が仲にはいって取りしずめた時の光景を、今だにはっきり覚えている。で、そのことを言うと、俊亮は、苦笑しながら、
「そうそう、そんなこともあったね。ところで、ああいう無茶な連中でも、やはり人間は人間だったんだ。こちらの出方ひとつでは、良心というか何というか、とにかく人間らしい正直さを見せたもんだよ。世の中に、腹の底からの悪人というものは先ずないと思っていいね。」
次郎は、最初、父が自分をならず者あつかいにしようとしているのではないかと思って、ちょっと意外な気がした。しかし、そうではないらしかった。彼は安心しながらも、ますますわけがわからなかった。
「腹の底からの悪人もないが、しかし、また一から十まで完全な善人もない。たいていの人間はやはりならず者だよ。朝倉先生のような人はべつとして、学校の先生でも、先ず百人が百人、ある程度のならず者だと言ったって差支えないと思うね。軍人なんか、このごろは相当のならず者になってしまっているよ。考えようでは指なしの権や、饅頭虎なんかより、よほど始末のわるいならず者だろう。すばらしく大がかりな無茶をやるからね。」
俊亮の言葉の調子には、少しも誇張したわざとらしさがなかった。あたりまえのことをあたりまえに言っている、といった調子だった。しかし、そうであればあるほど、きく人の方には、それが却《かえ》って奇抜に感じられるのだった。みんなの顔はいつの間にか微笑していた。俊三などは、今にも拍手でもしそうな様子だった。俊亮はみんなのそんな様子をちょっと見まわしたあと、次郎に眼をすえ、
「そこで、いよいよ次郎の問題だが、どうだい、これだけ言えばもうわかるだろう。」
次郎には、しかし、まだ
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