んでいたわけではなかったんだ。ところが、その人たちの考えが一旦時の勢いを作ってしまうと、次第に不純な分子や、無思慮な分子がその勢いに乗っかって来る。これではならんと思っても、そうなると、もうどうにも出来ない。そして、いよいよ五・一五事件ということになったんだ。時の勢いというものは、だいたいそんなものだよ。」
「すると、僕たち、どうすればいいんです。はじめっから留任運動なんかやらない方がいいんですか。」
「それをやらなくちゃあ、お前たちの正義感が納《おさ》まるまい。」
「むろんです。」
「じゃあ、やるより仕方がないね。」
「しかし、お父さんが仰しゃるとおりですと、結局はストライキになるんでしょう。」
「それも仕方がないさ。」
次郎には、父が自分を茶化しているとしか思えなかった。彼は両腕を膝につっぱってしばらく默りこんでいたが、急にそっぽを向き、右腕で両眼をおさえると、たまりかねたようにしゃくりあげた。
「泣くことはない。」
と、俊亮はべつにあわてたようなふうもなく、
「何もかも自然の成行きだよ。学校がだめで朝倉先生だけがお前たちの希望だというのに、その朝倉先生を失うとなれは、留任運動をおこしたくなるのは当然だし、留任運動をおこす以上、少しでもそれを強力にするために、血書を書いたり、全校生徒に呼びかけたりするのも当然だ。また、朝倉先生が五・一五事件を非難したために学校を追われるのも、それを阻止しようとするお前たちの運動が失敗するのも、時勢がすでにそうなってしまっている以上、何とも仕方のないことだ。そしてその結果がおまえたちのストライキになるとすれば、それもやはり自然の成行きだというよりない。時の勢いで世の中が狂っている以上、その狂いが直るまでは、正しいことから正しい結果ばかりは生まれて来ないんだ。まあ、いわば一種の運命だね。」
次郎はもう泣いてはいなかった。彼は、まだ十分かわききれない眼を光らして、父の顔をにらむように見つめていた。
「むろん私は、それが自然の成行きだからただ見おくっていればいい、と言うのではない。今の場合、おまえたちが気をつけなければならないことは沢山ある。とりわけ大事なことは、自分で自分のお調子にのらないことだ。おまえは、おまえの血書に少しも不純な気持はない、と信じているようだが、なるほど不純だというのは言いすぎかも知れない。しかし、私には、お
前へ
次へ
全184ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング