には、たまらない侮辱を感じてテーブルの下で両手をぎゅっと握りしめた。
 すると少佐は、急にはじめのくだけた態度になり、
「わしも、君にかくす気がないということがわかって、すっかり安心した。かくす気があるかないかが、実は君の幸福のわかれ目だったんでね。」
 次郎はやはりテーブルの下で手を握りしめたまま、つめたい眼で少佐を見かえしていた。
「それで、ついでにもう少したずねたいことがあるんだ。しかし、そのまえに、君に誤解されてもつまらんから、ちょっと断っておきたいことがある。それは配属将校としてのわしの立場だ。わしは、ただ君らに、右向け左向けを教えるために学校に来ているんではない。わしの任務は君らの思想善導なんだ。君らが国家というものに十分眼を覚まして、健全な思想の持主になってさえくれれば、形にあらわれた教練の成績なんか、実は大した問題ではないんだ。で、わしは、いつも、わしが配属されているかぎり、この学校から、思想問題でとやかく言われるような生徒を一名も出したくないと思っている。だからこそ、わしは、家内にもよく言いふくめて、君らと親しくして行くようにつとめているんだ。わしの気持をよく理解して、ひとつ、何もかも打ちあけたところを話してくれたまえ。君がそういう打ちあけた態度にさえなってくれれば、たとい君の過去にどんなことがあったにせよ、わしは全力をつくして君を保護するつもりだ。いいかね。……それともう一つ断って置きたいのは、わしは決して朝倉先生を人格的に疑ってはいないということだ。朝倉先生は、人格という点からいうと、実際りっぱな先生だった。学校中におそらく先生に及ぶほどりっぱな先生はあるまい。君らが先生を崇拝していたのも無理はないと思うんだ。ただ問題は先生の思想だね。先生は、何といっても、米英的なデモクラシーの思想から一歩もぬけ出てない自由主義者だったんだ。伊太利や独逸におこっている新しい国民運動にもまるで理解がなかったし、日本でせっかく芽を出しかけている政治革新運動に対しても、共産主義と紙一重だなんて言って非難していられたんだ。第一、先生には、日本の東亞における使命とか理想とかいうものが、はっきりつかめていなかったようだ。だから、なぜ若い軍人が非常手段にまで訴えて政治革新に乗り出すのかがわからなかったんだと思う。あれだけのりっぱな人格者でありながら惜しいもんだ。あれで思想的
前へ 次へ
全184ページ中152ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
下村 湖人 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング