あるいは二度とないことかも知れない。万々一にも、諸君の中に、鶏をご馳走したために私をいい小父さんだと思っている人があるとすると、その人はきっと失望するにちがいない。それはあらかじめ断っておく。なぜ私がこんな変なことをわざわざ言うかというと、それは白鳥芦花に入る会が、鶏肉胃袋に入る会になってしまっては、先生に対して申しわけないと思うからだ。もっとも、鶏を飼うのは結局は人間のためなんだから、ほんとうに人間の役に立つと思えば、いくら可愛ゆくとも、またまるで商売にはならなくとも、いつでもそれを犠牲にする肚は私にもある。今夜もそのつもりで幾羽か犠牲にしたわけだ。今頃は多分諸君の腹の中で、諸君の朝倉先生に対する真実と溶けあって、鶏もいい気持になっていることだろう。」
俊亮はそう言って哄《こう》笑した。俊亮の笑声につれて、みんなも笑った。しかし、その笑声には、変に固いところがあり、何かにつきあたったように、ぴたりととまった。大きい生徒たちの中には、頭をかいているものもあった。
「いいことを言って下さいました。」
と、朝倉先生はかるくうなずくようにしたが、そのまま眼をおとして、しみじみとした調子で言った。
「おたがいに真実を生かしあう、それほど真実なことはない。そうした真実の持主が何人か居りさえすれは、日本もきっと救われる時があるんだ。おたがいに、きょうの本田さんの真実を忘れないようにしたいものだね。」
しばらく沈默がつづいた。月の光が、窓の近くの生徒たちの坊主頭をうしろからぼんやりてらしている。
「では、これから会員の自由な感想発表にしたいと思いますが、そのまえに、きょう新入会員が一人出来ましたから紹介します。」
大沢がそう言って、俊三の方を見た。俊三はちょっと顔をあかくして頭に手をやったが、すぐ立ちあがった。すると大沢が言った。
「本田俊三君、四年生です。上級の人はもうみんな知っているだろうと思うが、次郎君の弟です。これまでは白鳥会を多少軽蔑していたようですが、きょう次郎君や僕といっしょに鶏を解剖しているうちに、入会する気になったんです。小父さんがさっき言われた、鶏肉胃袋に入る会のつもりで入会したのかも知れませんが、将来見込はあるつもりです。」
どっと笑声がおこった。俊三はただやたらに頭をかいていたか、ひどくてれているようなふうでもなかった。そして笑声がいくらかしずま
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