さしいことではないのだ。ことに君らのような純真な青年が、どこもかしこも麻酔薬《ますいやく》をふりまかれているようなこれからの時代に、それを守ることは、容易ではない。いったい、良心がその自由を失うというのには二つの場合がある。その一つは、権力におもねったり、大衆にこびたり利害にまどわされたりして、心の底では悪いと知りつつ良心にそむく行動をする場合であり、もう一つは、知性を曇《くも》らされ、判断力をにぶらされて、自分ではべつに悪いことをしているつもりでなく、むしろ良心的なつもりで、とんでもない間違った行動をする場合だ。諸君は第一の場合のような意味で良心の自由を失うことはよもやあるまいと思う。それは信じてもいいと私は思っている。しかし安心出来ないのは第二の場合だ。国家のためだ、などと誰かが声を大きくしてどなると、諸君のような純真な青年は無反省にすぐそれに共鳴したがる。それが良心をねむらす麻酔薬の一滴であっても、それにはなかなか気がつかない。今の時代がじりじりと悪くなって行くのは、実にそうした煽動家のどなり声に原因がある場合が非常に多いのだが、却ってそれを憂国の叫びだと思いこんでしまう。また、大きな下り坂にも時にはちょっとした上り坂があるように、苦しい時代にも、時には有望らしく見える事件が起きる。すると、それでもう時代は上り坂になり、その事件が日本の無限の発展を約束してでもいるかのような錯覚《さっかく》に陥ってしまう。例えば、――」
と、先生はちょっと口籠って考えた。が、まもなく思いきったように、
「たとえば、ついこないだの満州建国だ。あれはなるほど、一応は日本の大発展を約束しているかのように見える。五族協和とか王道楽土とかいう言葉も、非常に美しい。それだけを切りはなしてみると、これほど道義的で華やかに見えることはない。そこでその華やかさに酔ってしまって、あとさきを考えてみる良心的な努力がお留守になる。建国のために置かれた礎石は果してゆるぎのない道義的なものであったか、どうか。それは汚れた手で置かれたものではなかったか。もしそうだとすれば、それはずるずると血の泥沼にすべりこみ、結局は日本までをその泥沼の中に引きずりこむのではないか。いやなことをいうようだが、真に冷静で良心的な国民なら、そういうことまで考えてみなければならないと思うのだが、それがなかなかむずかしい。つまり、
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