て真の愛国者を牢獄につなぐ、というようなことになりがちなものだ。諸君は今そういう時代を迎えようとしている。いや実はもうそういう時代に一歩も二歩も足をふみこんでいるのだ。私が今度諸君と会う時には、諸君はそういう時代に相当もみぬかれた頃だと思うが、その時諸君の良心が果して健全であるか、或いは大多数の国民と同様、眠らされてしまっているか、それを見るのが、私にとっては一つの興味でもあり、また恐怖でもあるのだ。むろん、諸君の良心が健全であろうとなかろうと、時代は行くところまで行くだろう。それは必至の勢いだ。少数の力をもってはもうどうにもならないほど時代は傾いてしまっている。その傾きを直そうとしてあせればあせるほど、却ってその下敷になるばかりだとさえいえる。だから、諸君の良心も今は時代を直すには大して役には立たない。しかし、時代が極度に傾いてしまって、――或いは転覆してしまってといった方が適当かも知れないが――それ以上傾きようがなくなる時代が、五年か十年かの後にはきっとやって来るにちがいない。その時こそ、どんなに眠らそうとしても眠らなかった自由な良心が、目に見えて役に立つのだ。恐らくそういう最悪の時には、大多数の国民は、ただ途方《とほう》にくれて右往左往するばかりだろう。永いこと目かくしをされていた良心では、その目かくしをとり去られても、急にはものの見わけがつかないからだ。そうした国民の間にまじって彼らを励まし、同時に、はっきりと彼らに将来の方向を示してやることは、どんな脅迫にも屈しないで良心の眼かくしをはねのけ、はっきりと時代の罪過《ざいか》を見つめて来たものだけに出来ることなのだ。私は、何年かの後に、そういう諸君と再会し、そういう諸君と手をたずさえて歩いてみたいと心から期待している。私は、今は、時代に反抗するようなあらわな活動を何も諸君にのぞんでいない。今は、いや、時代が極度に傾いてしまって、それ以上傾きようがなくなるまでは、むしろしずまりかえって、ただ諸君の良心の自由を守ることに専念してもらいたいと思っているのだ。」
 先生の眼と次郎の眼が、また期せずして出っくわした。次郎の眼は、そのまま釘づけにされたように、先生の顔をはなれなかった。先生は、かるくその視線をはずして二三度またたきした。そしてちょっと何か考えていたが、
「しかし、良心の自由を守るということは、決してなまや
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