ったようになっており、一つきりの電燈がかげを作って、みんなの横顔をてらしはじめた。そのうすぐらい光の中を、汁をすする音が入りみだれて、若い人たちの食慾の旺盛さを物語った。
鶏汁、――それも、汁というよりは煮しめといった方が適当なほど、ふんだんに肉をたたきこんだ鶏汁、それをたらふく吸う機会は、彼らのうちの最も富裕なものにも、そうたびたびめぐまれるものではない。暑い盛りに熱い汁をふるまった俊亮の智恵の足りなさを、彼らのうちに万一にも笑ったものがあったとすれば、それはおそらく、その生徒が、慢性の胃腸病にでも取りつかれていて、とうに若さを失った証拠でしかなかったであろう。
暮色がふかまり、電燈の光がそれに比例して次第に明るく感じられ出したころには、彼らの腹も相当ふくらんで来た。腹がふくらんで来ると、もうたべることばかりには専念していなかった。あちらこちらに雑談の花が咲き、警句がとび、笑声が湧いた。一時間まえに、次郎の思いつきで、裏手の廂に梯子をかけ、三十人もの生徒たちが、足音をしのばせてこの二階にはいりこんだ時の光景や、そのまえに、朝倉先生の裸姿を橋の下に見つけて、大あわてで水にもぐりこんだり、逃げ出したりした時の光景やが、彼らの断片語によって次第に浮彫《うきぼり》にされて来た。こうした場合の、頭のいい青年の断片語というものは、ちょうどすぐれた彫刻家の鑿《のみ》みたような役目をするものなのである。
朝倉先生夫妻も、俊亮も、腹をかかえて笑った。そして三人の笑いごえがきこえるたびごとに、彼らの興味は、しだいに食うことよりも話すことの方にうつって行くらしかった。
本来ならば、憤激にはじまり憤激に終るべき性質のこの集まりが、こうした愉快な空気の中でその序幕を切ったということは、誰の頭にも計画されていなかった一つの偶然であったかも知れない。しかし、その偶然も、幾羽かの鶏の犠牲なくしては生まれなかったとすれば、その鶏を犠牲にした本田一家の、とりわけ俊亮の智恵は、たといそれが無意識の智恵であり、それも一つの偶然に過ぎなかったとしても、決して軽視されてはならないことだったのである。
食事が終ると、また次郎の音頭で、鍋やその他の食器が階下に運ばれ、菓子袋がきちんともとの位置にもどり、土瓶が四五ヵ所に配置された。
やがて大沢が立ち上った。
「きょうはいつもとちがった特別の集まりなの
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