様子を見たいと言ったが、俊亮が、
「どうせ今夜は二階で月見をやる計画ですから、その時にしていただきましょう。」
と、言ってとめたので、そのままになった。
そのあと、お芳に代って、次郎たちが代る代るお酌をした。話もかなりはずんだ。それは、しかし昨日とちがって、朝倉先生の問題にはあまりふれず、大沢と恭一との高等学校生活が話題の中心になった。俊亮も、ビールのせいか、口がいつもより滑《なめ》らかだった。彼はわかいころの政治運動の失敗談などをもち出して、みんなを笑わせた。
朝倉先生は、酒量はさほど弱い方ではなかったが、それでも俊亮の相手ではなく、四五杯かたむけたあとは、コップにはいつもビールが半分ほど残っていた。
「あまりお強い方ではありませんね。」
俊亮はそう言って、無理にはすすめなかった。そして時には朝倉夫人にお酌をしてもらったりして、ひとりでぐいぐいコップを干した。
「奥さん、ご迷惑でしょうがもうしばらくご辛抱下さい。きょうは月見がてら、ご飯はみんなでごいっしょにいただきたいと言っていますから。」
彼は注いでもらいながら、そんなことを言った。
ビールが四五本もからになったが、日はまだあかるかった。俊亮は思い出したように次郎を見て、
「どうだい、もうそろそろ二階に移動してもいい頃じゃないかね。先生もあまりおのみにならんし、おまえたちもひもじいだろう。」
「ええ、ちょっと見て来ます。」
次郎は変に眼で笑って座を立った。
それから間もなくだった。茶の間から座敷にかけての瓦廂《かわらひさし》を、人の歩くらしい音が、ひっきりなしにきこえ、二階が何となくざわめき立って来た。静粛を保とうとする努力を、弾《はず》んだ肉体がたえず裏切っているといった音である。
俊亮と大沢とはずるそうに眼を見あった。恭一は少し顔をあからめてうなだれた。俊三もうなだれたが、しかし彼はこらえきれぬ可笑しさを押しつぶそうとしているかのようであった。
朝倉先生夫妻は耳をそばだて、眼を光らせて、天井を見た。
「何です、あの音は?」
朝倉先生は腰をうかすようにしてたずねた。
「きょうは、先生ご夫妻に、月見かたがた芝居をご覧に入れる趣向《しゅこう》なんです。」
「芝居ですって?」
「筋書きは次郎と私との合作ですがね。」
廂《ひさし》にはもう音がしない。二階のざわめきもしだいに落ちついて来た。
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