大山を低能だと思うまえに、自分だけが無用に学校を疑っているんではないか、と思った。誰も何とも思っていないのに、自分だけがどうしてこうも疑うのか。そう思ったとたん、ふたたび彼の頭に浮かんで来たのは、運命という言葉であった。
彼ははっとして思わす立ちどまった。大山も立ちどまって彼をふりかえったが、その顔は相変らず満月のように明るかった。次郎はその顔を穴のあくほど見入って、ふかいため息をついた。
「どうしたい?」
大山の眼玉がぱちくりと動いた。
「うむ――」
次郎はそれだけ言ってまた歩き出した。大山も默って歩き出した。二人はそれっきり、しばらく口をききあわなかった。
朝倉先生の家に行く曲り角まで来ると、次郎は立ちどまって、
「僕、失敬する。こっちに用があるんだ。」
すると大山も立ちどまって、
「朝倉先生のうちに行くんか。」
「そうだよ。」
次郎はためらいながら答えた。
「そんなら、僕も行こう。」
大山は先に立って歩き出しそうにした。次郎は、大山といっしょに朝倉先生をたずねるのが決していやではなかった。しかし、今日はなぜかひとりでたずねてみたかったのである。で、彼はつっ立ったまま、返事をしぶっていた。
すると大山は、また眼をぱちくりさせながら、
「きょうは、僕いっしょに行ってはわるいんか。そんなら、あすにするよ。僕はただあいさつするだけなんだから。――じゃあ、さよなら。」
水の流れるような自然さだった。次郎は大山のうしろ姿を見おくりながら、すまないというよりか、むしろ、うらやましいという気でいっぱいだった。そんて、なぜ今まで大山を白鳥会にさそいこまなかったろう、もし彼のような生徒がその一員に加わっていたとすれば、自分は、新賀や、梅本や、そのほかの生徒たちからは到底学ぶことの出来ないものを、これまでに学んでいたであろうのに、と思った。
一一 最後の訪問
朝倉先生の家では、奥さんが留守らしく、案内を乞うと奥の方から先生の声がきこえたので、次郎はさっさと上って行った。予想していたとおり荷造りはもうすっかりすんでいた。そしてその大部分はすでに発送されたあとらしく、いく梱《こり》かの荷が小ぢんまりと一ところに積んであり、がらんとなった部屋々々は掃除までがきれいに行きとどいていた。庭先にも藁切れ一つちらかっていない。ただ古ぼけた畳に、物を置いてあったあと
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