ばらくまぶたをぱちぱちさせていたが、急に窓わくに頬杖をつき、声をひそめて言った。
「君の気持はよくわかるよ。わしは十分同情もしているんだ。しかし、事情が事情だし、こうなった以上は、さっぱりあきらめる方が賢明だよ。どうだい、授業が終ったら帰りにわしのうちに遊びに来ないか。煎餅でもかじりながら、ゆっくり話してみたいことがあるんだが。」
 次郎は、返事をする代りに、穴のあくほど少佐の顔を見つめた。少佐はそれをどうとったのか、頬杖をついたまま、両手でしきりにカイゼルひげをひねりながら、眼をほそめて笑った。
 次郎は、しかし、いつまでたっても返事をしない。
「実はね――」
 と、少佐は、いかにもうしろをはばかるように、一層声をひそめ、
「このごろわしあてにちょいちょい投書が来るんだが、それが大てい君に関係したことばかりなんだ。その中には君が女に関係があるようなことを書いたのもある。まさか君にそんなことはあるまいと思うが、とにかく面白くないことだ。一応君の弁明もきいておきたいと思っている。むろん、わしあての投書は、それを学校の問題にしようとしまいと、わしの勝手だから、まだどの先生にも話してないんだ。どうだい、そんなこともあるし、よかったらやって来ないか。」
 次郎は、曾根少佐が自分に対する好意からそんなことを言っている、とはむろん思わなかった。
(ついさっきまで、西山教頭と二人で自分の方を見ながら何を話しあっていたのだ。)
 彼は、そう反問してやりたいぐらいだった。
「ご用はそれだけですか。」
 彼はまともに少佐を見あげてたずねた。皮肉以上のつめたさである。
「う、ううむ、――」
 と、少佐は、それまでひねりつづけていたひげから、急に指をはなした。その指は、ばねのとまった機械人形の指ででもあるかのように、ひげの先端にぴたりととまって動かなかった。
 次郎は平然として返事をまっている。
「そうだよ。用事はそれだけだよ。しかし是非にとは言わん。来たくなけりゃあ、来なくてもいいんだ。」
 少佐自身では、怒った調子の中に、言外の意味をふくませたつもりで言った。次郎には、しかし、却ってそれが滑稽にきこえた。彼は内心ひそかに勝利感を味わいながら、
「きょうは、僕おたずね出来ません。」
「どうして?」
「朝倉先生をおたずねするんです。」
 少佐の眼がぎろりと光り、カイゼルひげがぴりぴりとふる
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